ウクライナの魂の楽器バンドゥーラ
世界には本当に多種多様な楽器があるものですね。特に弦楽器。
コンサートホールの管弦楽団で一般的に使用される楽器は世界中で普遍的な地位を得ていますが、弦楽器はヴァイオリンやヴィオラのように弓で弾くものばかりではありません。
琴やギターのように爪弾くものもたくさんあります。爪弾くタイプは音量が小さくなる傾向にあり、室内楽向き。
そんな爪弾く楽器で中世から近世のヨーロッパで大人気だったのはギター・ツィターの仲間のリュート。
ギターの親戚のようなリュートはバロック時代の絵画に数多く描かれています。ギター同様に歌うための楽器で、家庭向きな楽器。
今日ご紹介したいのはウクライナの民族楽器であるバンドゥーラ。
50から60以上もの弦を持つツィターの一種なのですが、紀元6世紀ごろから存在していたという、伝統ある由緒正しい楽器。
西アジアの中世以前の楽器といえば、シルクロードを通じて、ペルシアから奈良東大寺の正倉院に伝えられた、螺鈿紫檀五絃琵琶が有名です。ペルシアは現在のイラク辺りに存在しましたが、西アジア一体の文化の中心地でした。
シルクロード由来の琵琶、現在ウクライナで民族の魂を伝える楽器として尊重されるバンドゥーラと共通の祖先を持つものなのではないでしょうか。
バンドゥーラこそはウクライナの魂。
楽器はウクライナ語で歌う声を伴奏する楽器として、平家物語を唄い語った盲目の琵琶法師のように、やはり盲目のバンドゥーラ弾きによって苦難の民族の歴史を語り伝える楽器として重んじられていたのだそうです。いわゆる吟遊詩人です。
支配者のロシアに宮廷でバンドゥーラ演奏家は重んじられもしたこともありました。ですが、ウクライナとロシアの関係が悪くなると、バンドゥーラ弾きたちは宮廷を追い出されて、バンドゥーラ演奏は禁じられたりもしました。
バンドゥーラという伴奏楽器はウクライナ語の民族の歌を歌うための楽器なのですから、当然と言えば当然なのかもしれません。
十八世紀に半音階の弦や金属製の調弦レバーなどが付け加えられて、現在のあの複雑な形態に落ち着いたのもそれほど古くはないのだそうです。ものすごい弦の数ですからね。大変に複雑な構造です。
どんな音楽でも奏でることが可能で、バッハのような西洋古典音楽を美しく奏でるためにも使用できますが、上に掲載した女の子たちに歌われるようなウクライナの歌を歌ってこそのバンドゥーラ。
でもバッハも美しいので、一曲だけ。
バンドゥーラによる別世界のようなバッハ/グノーのアヴェマリア。
意外かも知れませんが、日本ではこの楽器はかなりメジャー(?)な存在。
それはウクライナの音楽家であるナターシャ・グジーさん (1980-) が日本に在住していらっしゃるからです。
わたしはNHKが彼女の演奏を紹介する番組で彼女のことを知り(「千と千尋の神隠し」の主題歌)それ以来、彼女の動画や録音を愛聴しています。2011年の動画。一度はどこかでこの音色、聞かれたことがあるのでは。
バンドゥーラの伴奏によるナターシャさんの優しい歌声を聴くと心から癒されます。
バンドゥーラの不思議な音の色とともに聴きながら不思議な世界に誘われてゆくようです。
こちらの公式サイトで彼女の詳細を知ることができます。
祖国ウクライナの2022年3月現在の状況について、次のようなメッセージをナターシャさんは公式サイトに掲載されています(転載禁止されていませんので、ここに全文コピペいたします)。
これ以上の言葉はありません。
彼女の動画を少しばかりここに貼ります。
わたしもまた、ウクライナの人々のためにナターシャさんと共に祈ることしかできません。彼女の歌声に耳を傾けて下さい。
こちらは最近開かれたウクライナ戦争のためのチャリティーコンサートです。
姉妹のカテリーナさんもバンドゥーラを弾かれます。
ナターシャさんとカテリーナさんの祈り、天に届くといいですね。
今朝17日付のワシントンポスト誌の報じるウクライナ避難民に対する犯罪行為に関する記事を目にしました。
避難民は女子供ばかりですので (男性である父親や夫は戦闘員になることを求められていて出国は許されません) 暗躍する犯罪集団などに対して全く無力で、誘拐されて人身売買や騙されて性犯罪などに巻き込まれる事件が頻発。たくさんの子供たちの消息が不明です。
大量の避難民を政府のシェルターが受け入れることは物理的に不可能で、民間人も手助けしますが、ポーランド政府は難民を保護したポーランド人家庭に1日あたり10ドル以下の手当しか支給できないとか。国ごとに額は違うようですが五十歩百歩です。これでは人道的救済にも限度があります。目を覆いたくなる惨状は現実のものなのです。
わたしもまた、ナターシャさんたちの祈りに参加して終戦を希求するばかりです。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。