見出し画像

ピアノのバッハ

ピアノのバッハほどひどい形容矛盾はないとも言われます。

ヨハン・セバスチャン・バッハは18世紀の1750年に亡くなった作曲家。最晩年にフリードリヒ大王の宮廷でクリストフォリの発明したピアノフォルテを弾かせてもらえたという話も伝わっていますが、基本的にバッハはピアノという楽器とは無縁な作曲家。

鍵盤音楽の名手としてたくさんの楽曲をオルガンとチェンバロのために残しましたが、19世紀的な巨大な音を出すことのできるピアノは決してバッハの楽器ではありませんでした。

以前一度、ドイツから来たチェンバロ調律師さんとお話したことがありました。自分はバッハをピアノで弾くと彼に対して語ると、バッハをピアノで弾くなど言語道断と眉をしかめられました。

彼の英語はドイツ語訛りがひどくてなかなか面白かったのですが(英語ネイティブにはわからなくても、英語が外国語な自分には理解しやすいのです)まあ小一時間くらいバッハ演奏論を議論しました。一応バッハは楽器を超えた音楽を書いていたのだということを伝えて古楽教条主義者の彼には水掛け論でしたが、わたしの持論は、バッハは「楽器を超えた音楽」を書いていた。

つまりピアノの詩人ショパンがピアノという楽器の特性を最大限に生かした音楽を書いていたのと全く違うということです。バッハの最晩年の作品には楽器指定のない楽譜さえあるのです。

バッハにとって楽器とは、音楽を奏でるための道具でしかなく、彼の音楽は楽器を超えた音楽を志向していました。というわけで、長い前置きでしたが、バッハの音楽はピアノで演奏されようがエレキギターだろうが尺八だろうがジャズにアレンジされようが、その本質が失われるようなやわな音楽ではないということです。

作曲職人とよばれるような作曲家がある楽器の魅力を引き出すために最善の作曲をしたような曲では全く別の事態に至ります。オーケストラ編曲版のショパンのピアノ曲なんて最悪です。

だからこそ、ピアノで弾かれるバッハは美しい。

わたしはピアノ弾きで、長年バッハの前奏曲とフーガを弾くことを日課にしていますが、バッハをこれほどに弾くのは、学生時代にディヌ・リパッティDinu Lippatiという白血病のために33歳で夭折した伝説となったルーマニアのピアニストのバッハを聴いたからでした。

死期を目前にしたリパッティは、鎮痛剤を何本も打って主治医が舞台下で控える中、最後のリサイタルに臨みました。ただただ澄み渡った響きのバッハのパルティータ。神々しいまでに悲痛なモーツァルトのイ短調ソナタ、そして本来はただの軽いサロン音楽でしかないワルツに気品さえも漂わせるショパン。聴きながら子犬のワルツの伸びる音にふわっと浮き上がるような感覚を覚えるのは彼の演奏だけです。やがてワルツ全曲演奏で最後の一曲がとうとう弾けなくなって(ショパンのグランドワルツはピアニストに全身運動を要求する舞曲。広い音域を奏でるので体力勝負になります)リパッティは最後の曲目を変更します。彼が生涯最後の演奏に選んだのはマイラ・ヘス女史が編曲したこの曲でした。「主よ、人の望みの喜びよ!」

もしよろしければYouTubeへ飛んでコメント欄に書かれた言葉をお読みください。ありとあらゆる賛辞が書かれています。演奏分析するならば、素晴らしいのはピアニストの呼吸が感じられるから。良く歌う。

ピアニストは管楽器奏者のように息継ぎをしないといわれますが、実際は深呼吸しながらフレージングMusical Phrasingを作って演奏するのです。そんな息遣いを誰よりも感じさせてくれる演奏がディヌ・リパッティです。

「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」BWV639.

「来たれ異教徒の救い主よ」BWV659

ピアノで弾かれるバッハは本当に美しい。

ピアノを無理やり習わされた方にはトラウマなバッハ。対位法が難しいから。でも本当はたくさんのカンタービレな(よく歌う)音楽があるのです。対位法的なのは技術的に大変なのですが、上記のコラールならばそれほど難しくないです。

ピアノで弾くG線上のアリアも素晴らしい。わたしが好きなのはフリードリヒ・グルダの演奏。装飾音を足すのがバロック音楽の流儀。グルダのような演奏は残響の楽器ピアノ音楽の粋です。ピアノは音を発するとその音を途中でクレッシェンド(音を大きくすること)することはできません。発せられた音は漸減しながら次第に虚空へと消えてゆきます。これがピアノの美学。グルダの端正なタッチはそんなピアノの魅力を最大限に伝えてくれます。

ピアノのバッハと言えば誰もがこの方を思い起こします。グレン・グールドです。

独奏曲だけど原曲は二段チェンバロのために書かれていて、二つの楽器で弾かれているかのような錯覚を思わせるがために「協奏曲」と呼ばれています。ピアノで奏でる「イタリア協奏曲」からニ短調の第二楽章。

最後に「羊は柔らかに草をはみ」のコラール。転調部の物悲しさに心打たれます。

読んで下さってありがとうございました。

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。