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削除された「鏡の国のアリス」のエピソード(2)

前回からの続きです。

アリスはもうすぐ女王になれるという場面で、思いもかけずに老いたオスのスズメバチに遭遇します。

オスのスズメバチは働きバチのメスのように、全く凶暴であることも危険なことはない、生殖のためだけに存在する無害な存在。刺さないのです。噛まれると痛いですが。

でもリューマチ病みの老人は頑固で非常に扱いにくい。

ヴィクトリア英国にふさわしい淑女になるための行儀作法をしっかりと守ろうとするアリス。

立派な女王になりたいという自覚もあるのか、必死になって頭の固い老人に親切を示そうとします。

それがこの失われた章のあらすじです。

発見されて競売にかけられた草稿
手書きの文字は作者ルイス・キャロルのもので間違いないと認定されています
だから真作ですが、草稿の段階でボツになったらしいです
ボツにしたのはイラストレーターのテニエルですが、
そのお話の真相は次回に
作者ルイス・キャロルは
アリスリドルにプレゼントした「地下の国のアリス」
(不思議の国のアリスの前に書かれた私家版絵本)のイラストを描いたほどに
絵も達者でした。
漫画のストーリー原作者がネームを描いて漫画家に渡すように
キャロルはイメージをテニエルに送っていたのです
上のアリスとスズメバチはキャロルの水彩画

テキストの続きを読んでゆきましょう。

The wasp in a wig 「カツラをかぶったスズメバチ」続き

So she went back to the Wasp – rather unwillingly, for she was very anxious to be a queen.

だからアリスはスズメバチのところへと戻りました
本当はそうしたくはなかったのです
アリスは女王になりたくてそのことばかり考えていたからです

注:アリスは女王になることを意識しているという点は重要です

“Oh, my old bones, my old bones!” he was grumbling as Alice came up to him.

“It’s rheumatism, I should think,” Alice said to herself, and she stooped over him, and said very kindly, “I hope you’re not in much pain?”

「ああなんて老骨だ、おいぼれめ」
アリスがやってきた時、こんなふうにブツクサ言っていました
「リューマチではないでしょうか」とアリスは語りかけた
そして彼に向かってかがみ込み、とても優しく「あまり痛まないといいのですが」と言った

The Wasp only shook his shoulders, and turned his head away. “Ah deary me!” he said to himself.

“Can I do anything for you?” Alice went on. “Aren’t you rather cold here?”

スズメバチは肩をすくめて顔を背けた
「ああ、大丈夫か、わしよ」と独り言を言った
「何か出来ることはありませんか?」アリスは続けて行った
「ここは冷えるのではありませんか?」

“How you go on!” the Wasp said in a peevish tone. “Worrity, Worrity! There never was such a child!”

「なんて事言うんじゃ」
スズメバチはイライラした口調で言った
「なんてことだ、こんな子がいた事なかったのに」

Alice felt rather offended at this answer, and was very nearly walking on and leaving him, but she thought to herself “Perhaps it’s only pain that makes him so cross.” So she tried once more.

アリスはこの答えに少しばかりムッとして
もうほとんど歩いて
ここから立ち去ろうとしたのですが、
こうも考えてみました「たぶん痛みのせいで不機嫌なんだわ」
だからもう一度話してみました

“Won’t you let me help you round to the other side? You’ll be out of the cold wind there.”

「向こう側に向けるようにしましょうか?
そこなら冷たい風に当たらないですよ」

The Wasp took her arm, and let her help him round the tree, but when he got settled down again he only said, as before, “Worrity, worrity! Can’t you leave a body alone?”
“Would you like me to read you a bit of this?” Alice went on, as she picked up a newspaper which had been lying at his feet.

スズメバチはアリスの腕を取り
彼女に自分を木の向こう側に連れてゆかせました
でも再び落ち着くと
前みたいに不満を語るのでした
「ああ耐えられん、わしの体のことをほっとけないのかい?」
「これを少しお読みしましょうか?」
アリスは足元に置かれていた新聞を取り上げながら言いました

注:Worrityなんて言葉は現代の英語辞書には見つかりません
もちろんWorryから派生した言葉で、当時の労働者階級のスラング
だから上流階級に属するアリスには理解できなかった言葉かもしれません
「なんてこった、心配すぎる、やってられん」なんてふうな嘆きの感嘆詞ですね

“You may read it if you’ve a mind to,” the Wasp said, rather sulkily. “Nobody’s hindering you, that I know of.”

「読んでくれ、読める頭があるんならな」と
なんだかすねたようにスズメバチは言いました
「わしが知ってる限り、誰も邪魔せんよ」
新聞が好きなスズメバチ(笑)

So Alice sat down by him, and spread out the paper on her knees, and began. “Latest News. The Exploring Party have made another tour in the Pantry, and have found five new lumps of white sugar, large and in fine condition. In coming back – ”

なのでアリスは彼の傍に座り、膝の上に新聞を広げて読み始めました
「最新のニュース。
探索隊は食糧庫を再度訪れて
とても良い状態の五つの
新しくて大きな砂糖の塊を見つけました
帰りには…」

注:蜂のための新聞なので
蜂たちが獲物である角砂糖を発見したという記事が載っているのです
PartyとPantryというシャレが楽しい
蜂は甘いものが好きで、蟻同様に甘いものに集まります

“Any brown sugar?” the Wasp interrupted.
Alice hastily ran her eyes down the paper and said “No. It says nothing about brown.”
“No brown sugar!” grumbled the Wasp. “A nice exploring party!”

「黒砂糖なのか?」とスズメバチは会話を横切りました
アリスはすばやく新聞の上に目を走らせて、そして言いました
「いいえ、黒砂糖のことは書かれていません」
「黒砂糖がないとは!」スズメバチはいらいらしました
「なんて結構な探索隊なんじゃ」
注:当時の英国では、上流階級は精錬された白砂糖を好み、高価でした
黒砂糖は庶民のための砂糖
労働階級のスズメバチは黒砂糖が好きなのです

“In coming back,” Alice went on reading, “they found a lake of treacle. The banks of the lake were blue and white, and looked like china. While tasting the treacle, they had a sad accident: two of their party were engulped – ”

「帰りには」アリスは続けて読みました
「偽物の糖蜜を発見しました。
湖の岸辺は青と白で、陶器のようでした
糖蜜を味わっている間に悲しい事件がありました
隊員の二人は飲み込まれちゃったのですー」

注:偽物の糖蜜とは「ハチミツ」ではない人口の甘味料でしょう
蜂たちには糖蜜を入れた瓶は「湖」みたいなもので
「糖蜜の湖」である陶器の端は「岸」にあたるということですね
「Engulp」は「Engulf=吸い込む、飲み込む」の読み間違い
アリスが語尾のFをPと間違えて発音してしまったのです
舌足らずの子供の英語にはよくあることです
蜂が二匹、糖蜜の壺に落ち込んで溺れてしまったようです。
悲劇のニュース!

“Where what?” the Wasp asked in a very cross voice.
“En-gulph-ed,” Alice repeated, dividing the word in syllables.
“There’s no such word in the language!” said the Wasp.
“It’s in the newspaper, though,” Alice said a little timidly.
“Let’s stop it here!” said the Wasp, fretfully turning away his head.

「なにがどこだって?」スズメバチはとても不機嫌な口調で訊きました
「飲みー込まれーちゃった」アリスは音節ごとに区切って繰り返しました
「そんな単語は言葉にはないぞ」スズメバチは言いました
「新聞に書いてあるのですが」アリスはすこし自信無げに言いました
「ここでストップじゃ」話題を避けるように首を振りながら言いました

Alice put down the newspaper. “I’m afraid you’re not well,” she said in a soothing tone. “Can’t I do anything for you?”

アリスは新聞をおいて「お体がよくないようですわ」となだめるような声で言いました
「何かできることはありませんか」

“It’s all along of the wig,” the Wasp said in a much gentler voice.
“Along of the wig?” Alice repeated, quite pleased to find that he was recovering his temper.

「かつらのことはどうじゃな」スズメバチはずっと優しい声でいいました
「かつらのこと?」アリスはスズメバチが機嫌を直してくれたので
喜びながら繰り返しました

“You’d be cross too, if you’d a wig like mine,” the Wasp went on. “They jokes, at one. And they worrits one. And then I gets cross. And I gets cold. And I gets under a tree. And I gets a yellow handkerchief. And I ties up my face – as at the present.”

「お前さんも不機嫌になるわい、わしのかつらのようなものを付けていれば」
スズメバチは続けました
「かつらってやつはすぐに馬鹿にしよる。
そしてうんざりさせる
そしてわしは不機嫌になる、
そして風邪をひく
だから木の下にいるんじゃ。
それで黄色いハンカチを被っておるよ
顔に結び付けて、今しているみたいにな」

注:They Jokesという言い回し、現在一般的に正しいとされる標準英語では間違いですが
現在でもイギリスの田舎の一部ではこういう英語が普通に使われます
でも上流階級はこういう英語を田舎の方言として嫌います
また老人ネタは白の騎士で出てきたばかりでした
まだ三十歳代で若かったルイス・キャロルは
自分よりも二十歳も若い子どものアリス・リデルに対して
自分は老人のようなものだと思っていたのでしょうか

Alice looked pityingly at him. “Tying up the face is very good for the toothache,” she said.

アリスは可哀そうだなと思いながらスズメバチを見ました

“And it’s very good for the conceit,” added the Wasp.
Alice didn’t catch the word exactly. “Is that a kind of toothache?” she asked.
The Wasp considered a little. “Well, no,” he said: “it’s when you hold up your head – so – without bending your neck.”

「それはだな、うぬぼれるにはとてもいい」
スズメバチはそう言い加えました
アリスはその言葉を正確に聞き取れませんでした
「歯痛とかそんなためでしょうか」アリスは訊きました
スズメバチは少し考えこんで「ウーム、そうじゃない」と言いました
「頭を持ち上げたとき、そうじゃ、首を曲げないでな、その時にはな」

“Oh, you mean stiff-neck,” said Alice.
The Wasp said “That’s a new-fangled name. They called it conceit in my time.”

「まあ、首がこってらっしゃるんですね」とアリスは言いました
スズメバチは「それは新しいごまかしの呼び名じゃな。わしの若いころは自惚れといったが」

注:Fangleは古い英語で「ニセの、嘘の」という意味
「自惚れ」を歯痛と言い換えるその意味は?
どうにも会話が噛み合いません

“Conceit isn’t a disease at all,” Alice remarked.

「自惚れは病気じゃありません」とアリスは言いました

“It is, though,” said the Wasp: “wait till you have it, and then you’ll know. And when you catches it, just try tying a yellow handkerchief round your face. It’ll cure you in no time!”

「それはだな、だがなあ」とスズメバチはいいました
「自分でそれがわかるまで待ちなさい、そしたら理解できる
うぬぼれるようになったとき、
顔の周りに黄色いハンカチを巻いてみることじゃ
それであっという間に自惚れは治ってしまう」

注:子供には「自惚れ」はまだわからないかもしれません
この意味で女王になる直前のアリスもまだ子供です
でも黄色いハンカチがなんで自惚れなのか?
自惚れている人はそんなふうにすると注目を浴びることはできますが。
詩文の世界では奇抜な発想をConceitというのですが
スズメバチもまた作者の分身で
そういう意味合いが含まれているのでしょうか?
黄色はシェイクスピアによると「老い」を象徴する色なのですが
全身警戒色の黄色と黒のまだらのスズメバチの
黄色の意味は分かりにくいですね

He untied the handkerchief as he spoke, and Alice looked at his wig in great surprise. It was bright yellow like the handkerchief, and all tangled and tumbled about like a heap of sea-weed. “You could make your wig much neater,” she said, “if only you had a comb.”

スズメバチは喋りながらハンカチを取りました。
そして大変驚きをもって、アリスはスズメバチのかつらを見つめました
かつらはハンカチと同じように明るい黄色だったのです
くちゃくちゃで大量の海藻のように絡まっていました
「櫛(Comb)さえあれば、もっとかつらを梳いて綺麗にしてあげられるのに」
とアリスは言いました

“What, you’re a Bee, are you?” the Wasp said, looking at her with more interest. “And you’ve got a comb. Much honey?”
“It isn’t that kind,” Alice hastily explained. “It’s to comb hair with – your wig’s sovery rough, you know.”

「何、お前さんはミツバチだったのかい?」と
前よりも興味深くアリスをスズメバチは見たのでした
「それで蜂の巣(Comb)を持ってるのかい、ハチミツはたくさんあるかい?」
「そういうCombじゃないわ」アリスはすぐに説明しました
「髪を梳く櫛よ、おじいさんのかつらはとんでもなく乱れているから、そうよね」
注:Combには櫛と蜂の巣の両方の意味があることからの誤解(笑)

“I’ll tell you how I came to wear it,” the Wasp said. “When I was young, you know, my ringlets used to wave – ”

「なんでかつらを被るようになったかを話してあげよう」とスズメバチは言いました
「若かったころ、わしの巻き毛は波打つほどだったんじゃ」
注: つまり自慢の巻き毛が薄くなったか
なくなってしまってカツラを被っているのでしょうね

翻訳は次回に続きます。

アリスの献身はあまりに子供らしくない?

このように終始、年寄りのスズメバチを懸命にいたわるアリス。

アリスは敬老の心を持った良い子と言えますが、あまりに忍耐強く、いささか出来すぎなような感じがします。とても七歳半には思えません。

おじいちゃんが大好きで必死におじいちゃんのために尽くす、おじいちゃん子なこんないい子もいるのでしょうが。

もしこの章が「鏡の国のアリス」に挿入されるにふさわしくないとすれば、わたし的にはアリスがあまりに大人びすぎているなと思う点です。

そして女王になるという大事な場面の前に、こういうやり取りが必要なのかよくわかりません。女王らしい振る舞いを庶民に見せているといったジェスチャーでしょうか。

でも出版の一年半ほど前に削除されたので、整合性にいささか不具合が生じているのは致し方ないことでしょう。

前回論じたように、完璧癖の作者は推敲に大変な労力を費やしたはずですから。

とても面白い内容がこの章には含まれていることは確かなのですが。

蜂視点の「蜂の新聞」の記事はとても面白い。この記事をアリスがもっと続けて読んでくれたならば、この章はもっと面白くなったと思うのですが。

はるか後年、21世紀の2007年になって「Bee Movie」なんて映画が作られたほどなので、蜂の視点の物語の先駆的と言えるでしょう。

やはりルイス・キャロルは凄かった。

Combのシャレは秀逸です。「髪を梳く櫛」と「蜂の巣」をかけたジョーク。

こういうのが Honeycomb、
櫛の目のような形なので同じ言葉が当てられています
Combは
/kóʊm(米国英語), kˈəʊm(英国英語)/
で二重母音「コゥン」です

映画に関しては、Beeはミツバチ、Waspはスズメバチなので、少し異なりますが。

作者としては、スズメバチを甲斐甲斐しく世話するアリスを描いて、女王に昇格するアリスが大人びてゆく姿を描きたかったのかもしれません。

スズメバチと別れた後、女王になったアリスはチェスの赤と白の二人の女王に挟まれて、アリスの喋る言葉の言葉尻をとらえて、ことごとくアリスを馬鹿にしたような口を利く二人の女王に対して、とても大人なふるまいをするのです。

自分ならこんなぶしつけな連中(女王様なのに)とは口を利きたくもないのですが(笑)。

削除された理由はテニエルにある

この草稿が削除された理由は、イラストレーターのジョン・テニエルが作者ルイス・キャロルに対して、このお話には絵を描きたくないと言ったからです。

1870年6月1日付の手紙が現存していて、そこに書かれているのです。

「鏡の国のアリス」の出版は1871年12月24日のことで完成版が出来上がる一年半前のこと。

さらには、ルイス・キャロルの甥で叔父の死後に作品管理を任されたスチュアート・ドッジソン・コリンウッド Stuart Dodgson Collingwood は、「かつらを被ったスズメバチ」の章に関して、テニエルが次のような言葉を書いていたと伝えています(手紙は消失していて、画家の言葉は甥の口からしか伝わっていません)。

「かつらを被ったスズメバチ」はまったく芸術の範疇には納まらないです
=自分はこんなお話、芸術として認めない!

注:Appliancesは通常、家電などの機械に使われる言葉
19世紀には道具や種類や分類という意味でつかわれたでしょう
いずれにせよ、この伝聞された言葉がテニエルの言葉だとすれば、
かなり意味深な発言です

なんともすごい言葉ですが、作者よりも年配(12歳年上)で、実績ある先輩画家の言葉です。

若かったルイス・キャロルは従うほかはなかったことでしょう。

次回は「かつらを被ったスズメバチ」の最後の部分を読み、なにゆえにテニエル画伯が作画を拒んだのかを検証してみましょう。

19世紀英国で大人気だった雑誌パンチに
半世紀にわたって風刺漫画を描き続けて
のちには漫画家として挿絵画家として
初めてSirという騎士の称号を与えられることになるテニエル
ルイスキャロルのアリスが世紀のベストセラーのなったのは、
この気狂い帽子屋の素晴らしいイラストゆえ
とさえ言われたそうです

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