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ずっとずーっと生きるのがヘタ

2022年11月3日深夜
22歳、現在大学3年生

久しぶりにnoteを書く。

書きたいことは沢山頭の中にあって、

それをパソコンに打ち込めばいいのだけれど、

タイトルだけを決めて本文が書けない現象がここ最近続いていた。

文章を書くこと自体が久しぶりで、

どんな感じでnoteを書いていたのかすらあまり思い出せない。

まぁそんなことはどうでもいいのだけれど。


最近、思っていることがある。

私はつくづく生きるのがヘタだな、ということだ。

これまでの人生

22年の人生

人生100年時代なんていわれる現代では、

5分の1が終了して5分の2の部分を生きている最中というところだろうか。

それなりに楽しく、

それなりに幸せで、

それなりに悲しい経験も経て、

今がある。

傍から見れば

立派ではなくとも普通に生きている普通の人に見えているのだと思う(見えていて欲しい)。

でも、普通に生きることが私にはすごく難しい。

例えば

人とコミュニケーションをとること

規則正しい生活を送ること

きちんと時間を守ること

なにかを継続すること

目標を定めて努力すること

このどれもが本当に難しい。

些細なことでいうならば

紙を折り曲げるとき角を揃える事とか

日めくりカレンダーを毎日めくることとか

LINEを返すことなんかも

意外と難しかったりする。

まぁ面倒くさがりな性格が結構な場面で災いしていることくらいは勘づいている。

こんな感じの私にとっての"難しい"が、

日常には沢山転がっていて、

その全てをまるで難しくないかのように

当たり前にこなせる人間かのように

擬態して毎日を生きている。

正直、すごくしんどい。

すごく疲れてしまう。

どうしてみんなが当たり前にできるなにもかもが

私にとってはこんなに苦しいのだろうと思うけれど、

気づいたときにはもうこうなってしまっていたのだから

引き返しようがないし変え方も分からない。


誰とでも仲良くなれる人や

輪の中心に自然と存在する人

頼まれたことをきちんと遂行できる人や

きちんとした毎日の生活を送れる人

夢を持って、それに向かって努力する人も

本当に凄いと思うし本当に尊敬する。

生きるのが上手いのだと思う。


人生100年時代と書いたけれど、

100年は長い、長すぎる。

私は割ともう十分生きたとさえ思っている。

だから時々生きるのが面倒になってしまう。

でも死を選択するほどの度胸も無いし、

明日死ぬ覚悟なんかもできていない。

プライドだけは一丁前にあるくせに意気地なしで弱い。


自分以外の全ての人が自分より優れているように感じて

もうどうすればいいのか分からなくなってしまう。

でも

私には生きるのが上手く見えているあの人も

もしかしたら擬態しているのかもしれない。

上手く見せるのが上手いだけなのかもしれない。

生きることってどうしてこんなにも難しいのだろうか。


書けば書くほど着地点を見失いつつある。

いつものことながら無理やり締めにかかろう。


私は生きることがヘタだ。

この事実は揺るがない。

それでもヘタなりに頑張って生きている。

時間の使い方は何よりもヘタだなと思うけれど

遅刻せずに大学にもバイト先にも行っている。

コミュニケーション能力も著しく低いと思うけれど

なんとか孤独にならない程度の人間関係は構築できている。

苦しいなりに楽しさを見出して毎日を過ごしている。

これからも苦しみは続くし

今も絶賛苦しい最中にいる(就活)。

それでも自分ができる範囲の努力をしながら頑張って生きていこう。

生きる意味なんてあるのか分からないけど

その意味を見つけられるくらいまでは頑張って生きていこう。


(深夜にnoteを書くといつもネガティブ満載になってしまうから今度はお昼時に書こう)













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