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緑色だと思って握りしめていたライトセーバーは、橙色をしていた

スターウォーズの登場人物には、ジェダイと呼ばれる正義の騎士と、ダークサイドに堕ちたシスという悪役がいる。彼らは、どちらも同じライトセーバーという武器を使う。高温なのか、振るうと空気が焦げるような音が鳴る。戦闘シーンでライトセーバー同士が交差すると火花が散る。バチバチバチ。

劇中で印象に残るのは、その色だ。ジェダイのそれは緑色。そして、シスのそれは橙色。同じ武器でも、源となるエネルギーが違うのだろう。だから、発する光が違う。同じキャラクターでも、ジェダイの時は緑色で、ダークサイドに落ちると色が橙色に変化する。

僕のライトセーバーは何色だったか。

ジェダイのように綺麗な緑とまではいかないとは思っていたけれど、違った。橙色だった。

人生は我慢なんだって聞こえるよ

気がついたのは3月の終わりの頃。コーチとのセッションの時だ。詳しい流れは忘れてしまったのだけれど、自分によく起きていることや、人生観のようなものを吐露した後に言われた言葉だった。

「人生は我慢なんだって、言っているように聞こえるよ」

ここからは覚えている。頭が即座に否定の動きをして、いや、そんなはずはないと思考するのだけれど、言葉にして口から出そうとする前に、止まる。ちょっと待てよ。あれ、そうとも言えないような気がする。いや、そうじゃない!あれも、これも。行動の底には、この人生観がある・・・!!!

激るような我慢ドリブン

思い返せば、今までの成功体験は、この我慢ドリブンに寄るものが大きい。

何かを欲しいと思う→外的な要因で抑圧される→傷つくが、何くそ!という気持ちで反発に行動につなげる→結果を出す

こうみると、新進気鋭のベンチャー企業のような成功パターンのようだ。傷ついた後の力はすごい。まさに復讐心のような、メラメラと激るようなエネルギー。やってやるさ、という気持ちになる。

確かに、これで手に入ったもの、乗り越えられたものもたくさんあることは事実だ。けれど、大きな副作用がある。それは、結果が必ずしも、自分が望んだものにならないことだ。

なぜ抑圧されても頑張れるのか。それは頑張った先に手に入るという期待があるからだ。ただ、現実は違う。手に入る保証はない。手に入らなかった場合はどうなるか。恐ろしいことに、それがまた新たな傷となり、次の我慢につながる。

ああ、また手に入らなかった。くそう、話が違うじゃないか。

こうして、我慢はまた新しい我慢を呼ぶ。努力が足りなかった、力が及ばなかった、タイミングが悪かった。それらが、全て傷となり、我慢になる。この生き方を、僕は無意識のうちに選んでいたのだ。我慢は、憎しみのようなインパクトを生む。ライトセーバーは橙色だった。

今際の際に何を手にしていたいか

改めて、言葉のインパクトに戻る。自分のことなのに、なんて可哀想なのだろうか。人生が、生きることが、我慢だなんて。ひとしきり涙を流し、その耐えてきた時間を悼んだ。もう、苦しませまいと思う一方で、疑問が首をもたげてくる。

じゃあ、どう生きたらいいのだろう。

藤井風さんの帰ろうが頭の中に鳴り響く。どう生きていこう。どうしたらいいのだろう。疑問を言葉に出し、コーチに伝えると、自分の経験と共に、問いを投げてきた。最後の時、何を大事にしていたいか、三つ考えてと。

どのくらい考えていたのか記憶にもうないけれど、瞬間的に2つが出てきた。一つ目は、感性。嬉しいとか、美しいとか、感じることそのもの。それを大事にしたい。そして、二つ目は、表現。その嬉しいと思うこと、美しいと思うことを、自分なりの形で現したい。

これで十分かと思ったけれど、後一つ。さらにがあるのだとしたら、共鳴、つまり、分かち合えると嬉しいと思った。嬉しい、美しいと感じ、表現したことが、誰かに伝わり、それが同じように思えたのだとしたら。感性が受け取ったことは、一人だけのものではない。それを知ることで、より深く、感性を受け取れるような気がしたのだ。

感性、表現、共鳴。この三つが自分にあると、そう考えた時、身体が鎮まっていくような感じがした。先ほどの、どう生きたらいいのだろう、という恐れのある疑問も落ち着いている。そして、なんだか、静かに湧水が流れ出ているような感覚がある。

湧き上がるような感性ドリブン

これだ。この静かに湧き上がるような穏やかな状態。そこが感性に導かれて、表現に繋がる時、今までとは違う動き方ができるような気がする。自分の感覚を信じて身を委ねる。そこには我慢はない。激るようなエネルギーもない。けれど、事柄は進んでいくような力強さもまた、そこにある。こんな力の生み出し方があったのか。。。

僕が学んだコーチングスクールCTIジャパン(*1)では、エネルギーに満ちた状態をフルフィルメントと言っている。今までは、両手を上げて、いえーい!と声を高らかに叫ぶような。そんなイメージで。それは僕にはないなと思っていたものだった。これだ、きっとこれが僕のフルフィルメントだったんだ。

どうしたらこの状態の自分で動いていけるのか。すぐに人は変わらない。慣れ親しんだ成功体験のある我慢ドリブンにすぐに戻ってしまうだろう。意識を、感性、表現、共鳴に向けていかなければ、使いこなすことは困難なことは明白だ。だから今、僕は眠る前に、一日をこの三つの観点から振り返る。使えている時の自分が、より自覚的になるように。

いまだにまだ身体は慣れていない。ただ、気がつきはしている。我慢ドリブンに行きそうになっていることや、感性ドリブンな時がいつなのか。より多くのことを、より大事なことを感性ドリブンで選択できるようになった時、きっとライトセーバーは輝くのだろう。鮮やかな緑色に。

*1 CTIジャパンのHP


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