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 阿南屈指で、他に類の無い名刹というと、牛岐城であると、漠然・曖昧模糊としたイメージをもっていませんか?

 それ、洗脳されていますよ。

 地元情報が報じられる阿南市や徳島新聞などの媒体において、牛岐と平等寺、その情報量にどれだけ差があるか、語るまでも無いでしょう(徳島新聞も記者が富岡を美化する傾向があると筆者は判断している)。多くの阿南市民は、情報の洪水で印象操作されているのです。

 しかし、阿南市内の史跡を、冷静に歴史年数で比較したことがある人はどれだけいるのでしょうか?

 じつは牛岐城の年数はハッキリしていません。『阿南市史』や、富岡側が発信する情報を見ても、明確にされている資料はありません。これでも相当大目に見た数字です。

 いっぽうで四国八十八箇所は1200年の歴史であることは明確です。阿南市には太龍寺もありますが、山岳の寺のため門前町が形成しにくい点や、ロープウェイの開通以後はとくに、那賀町との共有観光地という側面が目立ちます。

 さらに平等寺は世界遺産候補です。平等寺の門前町で日亜化学は誕生しています。

 阿南市の礎は、牛岐城の城下町ではなく、平等寺の門前町であるとみるのが真実です。

 牛岐城にことさら注目し、市のシンボルとする必要性ってなんなんでしょう? 本当にふさわしいのですか?

 この市では、歴史を紹介するさまざまな場面において、牛岐城やその城下町富岡を過剰美化する傾向があります。

 事実を歪曲し、「中心だから」「市役所の近くだから」と、合理性のない政治的な動機によって、富岡は美化されています。

 当スポットライトは、必要以上に富岡を批判する意図はありませんが、スポットライトは正しい所に当てられるべきではないでしょうか。


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