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さるべき業縁の催せば如何なる振る舞いもすべし

最近心の拠り所を求めて仏教に興味を持っています。
今日は新たに「さるべき業縁の催せば、いかなる振る舞いもすべし」という言葉を勉強したので記録したいと思います。

要約すると、「縁さえくれば人間どんな悪いこともする。」ということでした。
学びとしては、他人や自分の許せない行動に寄り添って許してあげることが大事ということです。

これは歎異抄という鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書に書かれた言葉です。

その辺に100万円が落ちていたら、私は警察に届けますが、盗んでしまう人もいると思います。
「盗んでしまう人は最低だ。私ならそんなことはしない。」と切り捨ててしまう気持ちもあります。
でも、その人が生活に困窮していて、子供にご飯を食べさせるために盗みを働いたとしたら、仕方ないかなという気持ちになります。
また、その環境とその縁が訪れた時、自分が同じ立場なら同じことしている可能性があります。
ここでは、殺人なども同じように縁次第では誰しもがやってしまう可能性があることと説明されています。

人間誰しも、本当の姿は悪人で縁さえ訪れてしまえばなんでもしてしまう、というのが仏教の教えのようです。
仕事で許せない行動を取られて、カッとなることがありますが、その人の気持ちになって寄り添うことも大事だと感じました。そんな行いが結局自分にも返ってくるような気がします。

その考えを自分に向けてあげても良いと思います。
病気や生まれ育った環境が原因でできないことやうまくいかないことがいっぱいあります。
失敗したなぁと思う行動があるならば、まさに「去るべき業縁の催せば、如何なる行いもすべし」です。

ありきたりな考え方にも感じますが、いい国作ろう鎌倉幕府の時代の先人から「人は失敗する生き物だよ」と励まされた気持ちになって、とても嬉しい気持ちになりました。


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