石川遼の復活

石川遼。ゴルフに関心があってその名を知らない者はいないと思います。2008年8月24日、若干17歳の高校生が世界史上最年少の若さでツアー優勝を果たしたのは衝撃的でした。彼はその後も優勝を重ねて活躍し、国内で不動の地位を得ました。2013年には海外PGAツアーに本格的に参戦することになリます。しかし、海外では目立った活躍ができず、国内に帰還せざるを得なくなります。同年齢の松山英樹の世界的な活躍が目立ち、ますます石川への注目はここ数年減っていました。しかしまだ20代。まだまだプロゴルファーとしては衰えを知らないはずの力を発揮してくれると信じたファンも私含めて多かったと思います。そんなファンにとって2019年は嬉しいニュースが幾度となく飛び込んできました。10代での目覚ましい活躍をもう一度見られる。そんな思いを日本中のファンに抱かせる、そんな石川遼がまた帰ってきました。石川遼復活までの道筋の私の見解を今回は紹介します。

10代での功績
2008年8月石川遼は彼はその後も優勝を重ね、数々の記録を打ち立てました。彼の代表的な功績を以下に示します。

17歳 世界史上最年少ツアー優勝、史上最年少で年間賞金1億円突破、マスターズ特別招待、全英オープン出場権獲得、史上最年少での世界ランキングトップ50入り、プレジデンツカップに史上最年少で選出。

18歳 年間獲得賞金額が1億8352万4051円で賞金王(これにより尾崎将司が1973年に26歳で達成した最年少賞金王記録を大幅に更新しました。)、世界ランキングトップ30に入りマスターズ出場権獲得、中日クラウンズ(名古屋GC和合C)で最終日で58(通算13アンダー)で優勝、日本男子ツアー史上最速(54試合目)かつ最年少(18歳7か月)で生涯獲得賞金3億円を突破、フジサンケイクラシック連覇。

以上が石川の代表的な功績です。どれも輝かしいもので、まさしく「天才ゴルファー」の誕生と言えると思います。

その後も彼の活躍は止まることなく、2012年11月11日、太平洋クラブ御殿場コースで行われた 三井住友VISA太平洋マスターズにて、首位のまま逃げ切り、通算15アンダーで優勝。2010年の本大会以来2年ぶり、史上最年少でのツアー通算10勝を挙げました。21歳1ヶ月の石川は、池田勇太の同記録(26歳9ヶ月)を大幅に塗り替えました。


20代の挑戦〜海外PGAツアー〜2013年
上記の通り、10代の内に国内ゴルフ界で不動の地位を得た石川は、海外PGAツアーへの参戦を決意しました。PGAツアーとはアメリカ合衆国で開催される、男子プロゴルフツアーを指します。タイガーウッズ、ローリーマキロイ、ブルックスケプカなど名だたる選手が集い、かつ、コースもかなり難しい。そんなPGAツアーで活躍する選手は幼い頃からアメリカのコースに慣れているが、日本の狭いゴルフ場で鍛錬を積んだ選手からしたら、かなりハードルが高いのです。芝質も全然違います。飛距離、ショットの正確性などかなりハイレベルなものを要求される上、石川の場合は腰痛に悩まされた背景もあり、アメリカでの成績は全く奮いませんでした。2013年に本格参戦した際は、9戦中6戦が予選敗退となりました。その後は予選通過しても、二桁台の順位でかなり苦しいひびが続きました。


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