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「練馬」 7/15

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              *
 
 由梨絵さんとの邂逅から二日経って、私の人生がいかに平凡なものだったか思い知らされる。今日は何も無かった半年間を寸分違わず繰り返すだけの日だった。
 いよいよ二日も経って彼女は本当に幻だったのではないかという気持ちが強くなる。しかし幻だとしたらそれは実体がある人間との邂逅以上に奇跡的であろう。
 というかもし幻だったら病院にいって検査してもらおうと考え直す。その場合私はきっとおかしくなっている。

 現在時刻は夕方の十八時を回ろうとしている。
 本日もドトールコーヒーに来ている私は、どうやら自意識過剰の怪獣そのものらしい。もし私が巨大怪獣になったならきっとなるべく街を壊さずに進軍することを心がける。では何のために陸に上がってきたのか全くの意味不明であるが、私であればそういった意味不明の行動をしかねない。
 理由もなく池袋駅まで行ってマクドナルドで食事をしただけで帰ってきたりしそうだ。巨大怪獣となってしまった私は、エビフィレオのセットの余りの小ささに涙する。
 コストパフォーマンスが悪すぎる!これでは一日で破産だ!

 さて、今日も私の脳内は正常に動作している。安心した。

 私はドトールコーヒーを後にして、練馬駅にある数少ない本屋に向かった。数少ないというか練馬駅には書店らしい書店が二軒しかない。
 ブックオフという中古販売専門の本屋もあるのだが、これは一旦除外する。二軒しかない本屋の内一軒はすこぶる狭い。狭ければ品揃えも悪い。
 したがってもう一軒の本屋を利用する以外に道は無い。

 本屋で私は以前から読みたかった海外作家のミステリ小説を買う。私の経済力にしてみればこれも大変贅沢な事ではあるのだが、既に買ってしまったのだから後には引けない。過ぎてしまえば過去は過去。贅沢品だから止めておこうと叫びを上げていた私の中の私は、残念ながら死んでしまった。私は最大限に彼を気遣い埋葬した。

 書店のすぐ近くにある共同の喫煙所で一本だけ煙草を吸ってから帰ろうと決める。良い物を買った事で気分も良かった。

「よろしければ、こちら試供品なのですが如何ですか?」

 私の隣には黒髪をポニーテールに纏めた美女が立っていた。肌は少し浅黒く、健康的な印象の人だった。
 何なのだろう。近頃の私の運勢という奴が、美女に話しかけられるという運を持ってきているのだろうか。もしそうであったなら、そのまま継続して持ってこられる分だけ一旦袋に詰めて持ってきて欲しい。

「一本だけお試しできます。どうでしょう?」

 彼女は煙草のメーカーのキャンペーンガールかなにからしい。きっと今日一日ずっとこの喫煙所で色んな人に話しかけ続けたのだろう。大変な仕事だ。

 いいんですか?

「はい!一本どうぞ」

 彼女は慣れた手つきで煙草を一本私に渡した。
 さて、きっとあなたはこう思ったのではないだろうか。
 どうせ今彼女との夢のある今後について妄想してんでしょ。
 これについて解答しようと思う。そう思ったあなたは正解である。私の脳味噌CPUは彼女との今後についての可能性をフルパワーで計算中である。うおおお!

 計算結果が出た。彼女とは何度かこの喫煙所で会う度に顔見知りになる。そこから始まるラブストーリーが完成した。

「どうしました?」

 こんな事ばかりで甚だ失礼である。申し訳ないと心で強く念じる。テレパシーとなって通じる事に強く期待する。

 ありがとうございます。

 私は煙草を受け取って火を着けた。
 うまい。うまいぞ。全然違う。私が普段吸っている煙草はエコーといって、数ある煙草の中でも最も安価な煙草である。この時代に一箱で二百八十円である。安い。私が今受け取った煙草など一箱で四百八十円と聞いた。というか今隣に居る彼女が頑張って説明している。残念な事に今の私にとってそれはあまりにも高級品だった。

「後味もさっぱりしてて、飲みの席でも料理の味を邪魔しにくいんですよ」

 見た目には煙草など吸いそうに見えない健康的な見た目の彼女だが、本人も煙草が好きらしい。彼女にとってこの仕事は天職なのかもしれない。

 煙草お好きなんですか?

「はい!好きですね」

 良い返事だなあ。好感しかない。よくよく考えれば煙草タダで一本貰える上に美女との立ち話も出来て、これはダブルラッキーだ。一兎すら追っていなかったのに出会い頭で思いがけず二兎を捕まえてしまった。今夜は兎鍋にしよう。

「喫茶店で本を読みながら吸うのが好きなんですよ」

 何と奇遇な事だ。それについては全面的に賛同したい。

「そのためだけに漫画喫茶にも行ったりするんです。個人的な趣味です」

 良いですね。解ります。

「ですよね!」

 どうやら由梨絵さんのお陰で私はコミュニケーション能力が多少上がったらしい。今日は自然に他人と話せている。

「今日はもう帰るだけですか?」

 この質問に対しては、何と答えていいのか私は流石に思案することになる。そもそも私にとって練馬駅は最早家のような感覚なので、それに基づくと今日は全く家から出ていない。帰る。という言葉そのものが私にとってそぐわない気がする。
 帰る権利を持っているのは、外に出て何かを成した人だけだと思われる。私はというと本日はうんこしかしていない。うんことは基本的に家でするものだ。しかしこれに対して私は、

 そうですね。

 と答えた。何がそうなのだろう。恥ずかしい。私は今見栄を張った。脳内会議では早速大議論が始まっていた。同じく自意識過剰の怪獣も雄たけびをあげていて、脳内が非常にうるさい。

「そうなんですね。雨、大丈夫でした?」

 今日は台風が接近しているらしい。一日中雨が降ったり止んだりしていたようである。台風が接近しているという情報はさっきドトールコーヒーで初めて知った。後ろの席に座った二人組みの男女が話していた。新宿ではどしゃぶりだって!とはしゃいでいたのでよく覚えている。
 大丈夫でした?という質問に関しては大丈夫だったと答えるほか無い。何しろ本日のほとんどをドトールコーヒーで過ごしたので、雨が降っていたことすら後ろの席の二人組みが居なければ知る事もなかった。

 大丈夫でした。でも今は新宿でどしゃぶりらしいです。気を付けて下さい。

「そうなんですね!気をつけます。ありがとうございます」

 彼女は終始ニコニコして話をしてくれる。何と良い気分だろうか。しかし試供品で貰った煙草は既にぎりぎりまで吸い終わっていて夢から冷める時が近い事を感じる。フィルターぎりぎりまで粘ってしまった恥ずかしさから早めに退散したくなった。

 ありがとうございました。

 そう言いながら私は設置されている灰皿に煙草を捨てた。

「はい!ありがとうございます。私がここに居るときは是非またお立ち寄りください。お気を着けてお帰りください」

 彼女は深々と頭を下げた。
 素敵だな。よし解った。会いに来るよ。ヤックルに乗って。もののけ姫は名作だと私は思う。
 帰り道の私は気分が上がりすぎてスキップせんとする勢いであった。しかしスキップはしない。スキップをしたい気持ちより、現実に浮かれてスキップする二十七歳無職を存在させてはならないという気持ちの方が上回った。
 帰ったらきっと彼女の事をメモしようと思う。世の中案外ラッキーな事に溢れている。私の人生そのものもいつかラッキーによって何とかなりそうな予感すら沸いてきた。

 ホームポイントに帰投した私は忘れないうちにさっきの出来事を携帯電話のメモ帳アプリに書き込む。
 それにしてもこの趣味を始めてから、携帯電話の扱いが上手くなったように思う。元々メールなど送る相手が居ない私はスマートフォンの特殊な文字入力方法が苦手だった。しかし近頃は女子高生ばりの勢いで文字を入力出来る。自身の近代化に大いに満足。

 私は買ってきたミステリ小説を早く読みたかったが、まだ読みかけの本がたくさんあったので諦めた。

 夜は更けていく。私は寝る準備をしてベッドに横になった。読みかけだっ
た太宰治の「晩年」を少し読み進めて、今日は寝ることにしよう。
「彼は昔の彼ならず」という短編を読んだ。
 内容とは関係なく、この作品のタイトルが不思議と胸に響いた。最近そんなことを考えていたような気がした。
 何故そこまで響いたのかは、しばらく考えたが結局の所はっきりしなかった。
 
              *

8へつづく

著/がるあん
イラスト/ヨツベ

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