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「練馬」 6/15

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 池袋は人が多い。以上池袋に関する感想を終わる。
 私はとにかく腹が減っていた。意味も無くこんな所に来てしまって、見知らぬ土地でこれから食事処を探さなければならなくなった。
 腹が減りすぎてきっとヤバい顔になってきているだろう。元々人相はヤバいから、これ以上ヤバいとヤバい顔の人が居ると通報される。早くしないとヤバい。もう何でも良かった。それほどに私はヤバかった。

 私はマクドナルドに飛び込んで、エビフィレオのセットを頼んだ。何故エビフィレオにしたのかというのは、全く持って解明不能である。しかし分析するに、商品の写真の中でも一番のカロリーポテンシャルを感じたからというのが現在最有力である。とにかく今の私に足りないのはカロリーだと思われた。勿論、飲み物はコーラにした。こういう時はコーラに限る。こちらについては解明するまでも無い。それはグローバルスタンダードとして広く世界に浸透した常識である。

 二階の窓際、一人掛けのカウンター席に私は座った。店内の客は多く、空いている席は数えるほどしかなかった。練馬のマクドナルドに比べて店内のデシベルがかなり大きいようだ。池袋の人は皆耳が遠いのかもしれない。
 私の席からは池袋駅前の大きな横断歩道が見えた。大勢の人が横断歩道に溜まっていき、少し経つと流れていく。中々の景色だったのでそれを眺めながらポテトを摘んだ。

 何故こんな所に来たのかという議題は、これ以上考えるだけ無駄なので一旦考えない事にした。何故かは解らないけれど夕方の十六時に池袋駅前のマクドナルドで、私はエビフィレオのセットを食べている。それだけの事だ。
 少しずつ夜になっていく街を見ながらぼんやりと食事をしていると、私は少しだけ気分が上がって来た。
 今日はどこかで祭りか何かあるのだろうか。華やかな池袋の喧騒は、私を浮かれた気分にさせた。いつもこの街はこんな様子なのだろう。毎日どこかで本当に祭りが執り行われているのかもしれない。

 マクドナルド店内に響き渡る数多の会話に関しては、すべてが混ざり合ってしまって一つを抽出して聞くことは不可能であった。この街の人が何を話しているのか少し興味があったので残念である。
 それでも隣の席に座っていた若い女性二人組みの会話が少しだけ聞き取れた。「まさしが」「気持ち悪!」「まさしヤバイ」断片的に聞き取れたのはこのくらいであった。
 他には彼女達の笑い声しか聞き取れなかった。
 まさしは恐らく本人が不在の状態で笑われている。私は会った事もないまさしが不憫でならなかった。どんな事があってもこの瞬間において私だけはのまさしの味方になろうと心に誓う。
 まさし、お前が何をしでかしたのか知らないが、この事実をもしどこかで知ったとしてもどうか落ち着いて欲しい。振り上げたこぶしを下げる勇気を持って欲しい。もしそのこぶしに貯めたパワーを吐き出したくて吐き出したくて仕方がないのなら、どうか私を殴って欲しい。
 治療費はもちろんまさしの負担だ。当たり前であろう。それでもいいのなら。

 彼女達は一体何をしに来たのか良く解らないくらいのスピードで帰った。飲食店居座リストの私としては店内の椅子に腰掛けてから十分以下で帰る人間の気持ちが良く解らない。
 私はそれから一時間程何も考えずに駅前を眺めていたらしい。店内の時計を見ると、時刻は既に十七時を回っていた。

 何かしなければという気持ちが急に私を襲う。今すぐ何かしたところで何も変わらない事は分かっていたが、妙な焦りを振り払えない。
 マクドナルドのナプキンに、ボールペンで今日あった事を書き綴り始める。内容は全くここで紹介する必要も無いしょうもない内容なのでほとんどを割愛する。しかし一つだけ紹介させてもらう。

 大きな横断歩道を少し離れた場所から見ていると、一定時間で人が溜まっては流れていく様ははまるで猪脅しの様だ。これを見て落ち着くのは日本人が猪脅しを見て落ち着くのと同じ原理かもしれない。

 この部分は、少し気に入った。
 結局最終的には十九時前までマクドナルドに居た。同じ店に長時間居座る事に関しては、やはり才能を感じる。
 そのような才能が生きる世界はこの世にあるだろうか。あったとしたらその世界に飛び込みたいのか。私の答えはノーだった。
 外に出ると夏と街の熱気で少し不快だった。日が沈んだとしても八月は八月であった。

 私は池袋駅に向かう道すがらの横断歩道を待っている間、さっきまで居たマクドナルドの席を振り返り見上げた。さっきまではあの場所からここを眺めていた。私が居た席には、既に別の客が座っている。若い男性でサラリーマンのようだった。スリムな体系にYシャツが様になっている。
 私は再び前を向く。
 何故か後ろが気になるのは、きっと由梨絵さんのせいだろう。横断歩道と赤信号は、私にとって特別なものになってしまったようだ。
 もし彼女が後ろに立っていたら、彼女は躊躇無く声を掛けてくるだろう。彼女にとって私は友達とは言わずとも既に知り合いなのだと。そして由梨絵さんなら知り合いにはきっと気軽に声を掛けるだろうと。

 私の中の由梨絵さんのイメージは、拡大するばかりだった。拡大しすぎて少し太ったかもしれない。だとしても女性に太ったなどと言うのは失礼らしいので私は黙っておく。

 他に行くべき場所も行きたい場所も無かった私は、そのまま西武池袋線練馬方面の電車に真っ直ぐ乗った。車内は様々な場所から帰る人達で少し混んでいて若干の暑苦しさを感じる。
 つり革を掴みその場でじっとしたまま、流れていく外の景色を見つめていた。しかしそこには暗くて窓に反射している電車内しか見えなかったので、私は結局自分自身を見ていた。その姿は昨日までの私と寸分も違わずに見えた。

 私はある人の言葉を思い出す。

「君はもう一度自分のメモを見直したほうがいい。そのままでは君は死ぬ。そして私も死ぬだろう」

 一体何の事だろう。

 一体何の事だろうと一旦思ったのは、ただ思いたかっただけだからだ。私は名作ミステリ小説をつい先日読んだばかりだったので、何でも一旦謎にしたい気持ちだった。
 自分の事なので良く解っている。私がもし社会に対して前向きに生きていける様になったのなら、それはそうでなかった自分との決別なのだ。
 私はある側面ではそれを死ぬことの様なものだと感じている。昼間にも同じことを考えたが、人間とは瞬間的な生き物なのだ。
 人が変わってしまった様な、ではない。人はそっくり変わってしまえるのだ。

 私ははっとする。
 そうなった時の為に私はメモを付け始めたのでは無いだろうか。当時の私は自分が生きた証を残しておこうと思ったのだ。きっといつか居なくなってしまうから、記録だけは残しておこうと。

 思わぬ瞬間に私的メモの起源が発覚した。いや、これも後からそう思いたくて思い出したように感じさせているだけかもしれない。

 半年前の自分はやはり既にこの世には居ないようだった。
 練馬駅に着いた私は何処にも立ち寄ることなく真っ直ぐに自宅まで帰った。

 自宅に着いた私は携帯電話のメモ帳にこの様なタイトルのメモを残す。

「私の生きた証を残しておく」

 出来れば百年くらい後の後世に残したいセリフであった。
 遺跡か何かに書き込みたいセリフランキング第三位以内にはランクインするだろう。
 しかし無念、おそらく私の携帯電話はどんなに長く生き延びたとしても十年で完膚なきまでに腐敗してしまうのは、火を見るよりも明らかであった。
 
 
 翌日の私は私がエスコートする予定の十四日のデートについて考えることにした。昨日はせっかく大きな街に出たのだから、何故それを考えなかったのかと悔やんだが、悔やんで出るものはうんこ的なものだけだった。
 これ以上うんこを生産することに意味は無いと感じたのでこの後悔は水に流すことにした。少量のうんこ的なものだったのですぐに流れてくれた。

 インターネットを使って私はリサーチを始める。「デート 場所 初めて」という検索ワードを打ち込んで恥ずかしさに一人悶絶する。

 ええい、恥も何も無い。お前はやるしかないのだ。

 しかしインターネットで得られた情報には、結局ピンと来るものは特に無かった。
 何しろ私には予算が無い。
 予算が無いのでは行ける場所は限定に限定を尽くされる。ではこういうのはどうだろう。私は彼女に東京の名所散歩を提案する。
 歩くだけならタダだ。いや、流石に恥ずかしくないだろうか。彼女をそこまで歩かせていいものだろうか。
 いくら考えても結果脳内議会の意見は割れに割れた。

 そんな事を喧々諤々と唸りに唸り考え続けた結果、いつの間にか随分と時間が経っていたらしい。時刻は既に正午を回る所だった。今日もまた何も食べていない。空腹を感じる事で、答えの出ない脳内議会は一旦閉会する運びとなった。

「いちばんいけないのは、おなかがすいていることと、独りでいること」

 好きな映画のセリフを思い出す。一番と言っているのに二つある。
 この矛盾は逆に人間味という奴なのだろうか。印象に残るセリフで今も覚えているのでそうかもしれない。しかし一番いけない事を私は今二つも同時に遂行している。なのでどちらか一つでも解決することにする。

 私は今日も着替えて駅前まで旅に出る。 
 
              *

7へつづく

著/がるあん
イラスト/ヨツベ

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