第4話 スーパー桃太郎電鉄DX
炎天下、灼ける砂浜、寄せては返す白波に青い海、浜中に建てられたパラソルの下にバカンスを楽しむ老若男女。着ているティーシャツが汗でじっとりと濡れて気持ち悪い。荷物を今すぐ肩から下ろしたい。
インドア派の私にとって、これほどの厳しい環境は他に無い。
隣に立つ嶋先輩は、到着し開口一番「海だー!」と雄たけびを挙げた。麦わら帽子に大きな真っ黒のサングラスが鬱陶しい。
普段は殆ど屋外へ出ない癖に、こうして外で見る先輩は随分と垢抜けて見え、改めてこの人が美人である事を実感せざるを得ない。金髪に染めたロングヘアの巻き髪が潮風に煽られ、腹立たしい程爽やかに、きらきらと揺れている。
「先輩、一体どういう風の吹き回しですか」
「風は南風、季節は夏だね。絶好の海水浴日和」
一体何故、先輩と二人でこのような場所に立ち尽くしているのか。熱中症寸前の頭で、自身がどこで失敗したのか考えてみる。
事は本日、明朝七時にまで遡る。
どういう訳か年中私のスケジュールを把握しているらしい嶋先輩は、今日が私にとって予定の無い休日である事を知っていたらしい。マザー2のポーキーのようにけたたましいノックによって私は叩き起こされる。
朦朧とした意識の中で玄関の扉を開くと、案の定そこには嶋先輩が立っていた。予想と反していたのは、彼女が麦わら帽子とサングラスを装着し、鞄を持っていたという点。すぐに嫌な予感がしたが、先輩による、「奢るから出掛けよう」という魔法の言葉に負け、貧乏性の私はのこのこと着いて出てしまったのだった。恐らく、そこが最大の失態であった。
それにしても、本当に海まで来るなんて。
都心から電車に揺られ一時間半、かの有名な鎌倉のお膝元、由比ヶ浜の海水浴場まで私達はやって来たのだった。
「結局何が目的なんですか」
どうやら先輩はこの言葉を待っていたらしいとすぐに分かった。サングラスをキザに外し私へ被りを振ると、先輩は答える。
「うらちゃん、これは見聞だよ。実際に目で見て感じたいと思ったからここに来たのだ」
「はあ」
確かに先輩は自らが提案した通り、ここまでの道程で掛かった電車代を始めとして、ペットボトルの水に至るまで徹底的に私にお金を払わせなかった。私は旅行など出来る程裕福な大学生ではないので、非常に有難い限りではあるが。
見聞。読んで字の如く、読んだり見たりする事、または事柄。見聞を広めるといった使い方をよく見るが、字面からは学習や体験といった意味合いを強く感じる。
つまり今日この日にここへ来るにあたっては、先輩にとって何か重大な訳があっての事だったのだろう。嶋先輩はああ見えて、興味が無い事にはすこぶる冷たい。あの人はただ暇だから私の部屋に居座っている訳では無いのだと気付いたのは、随分前になる。
砂浜へ進む先輩の後を追う。スニーカーの中に砂が入らないよう慎重に歩いたせいで、ずいずい進む先輩に離されてしまう。
「うらちゃーん」
先輩は十メートル程先でこちらを振り返り、手を振っている。
何の意味があって私を呼ぶのか全く分からない。ただ呼びたかっただけなのだろう。流行の音楽が浜中に設置されたスピーカーから鳴り続け、水着姿の男女が私達の間を跨いで通り過ぎた。先輩の間抜け面と目が合い、いよいよ私は溜息をつきたくなった。いささか自分が情けない。先輩と二人でこうして旅行をする事に、後ろめたいものなどある筈も無いのに。何だか無性に虚しく感じてしまったのだった。
私はぎこちない笑顔を作り先輩へ手を振り返す。精一杯愛想を振りまくつもりだったが、見ても居ない自分の顔が酷くひしゃげているのは想像に難くなく、またしても無性に情けなかった。
先輩は何か大事な用事を思い出したかのように、足早にこちらに引き返す。
「どうしました?」
「うらちゃん、大丈夫か」
「大丈夫って?」
「うらちゃんが笑ったからさ、ただ事じゃないと思って」
私は無理やり作っていた笑顔を解き、二度と笑わないと心に誓う。どうせ私の笑顔なんて、使い慣れてない表情筋のせいで不気味な妖怪のように見えたのだろう。
先輩は私の頭に手を置くと、「少し休もう」と提案した。何だか気を遣わせてしまって申し訳なかったけれど、願っても無い提案だったのも事実。私はすぐに了承した。
先輩が先導し、浜からほど近い場所にある、南国風の凝った喫茶店に私達は入る。開放的なデザインの内装に似合わず、お店は混雑していてどこか息苦しい。それでも空調の効いた場所で飲むアイスコーヒーは格別に美味しかった。ようやく息つく間が出来た事で、張りつめていた緊張が一斉に解けたように脱力してしまった。
「何かすいません」
壁一面のガラス窓を仰いで、先輩は何だか物憂げに頬杖をついたまま、ひらひらとこちらに手を振った。どこかお互い余所余所しく、微妙に居心地が悪い。いや、そう感じているのは私だけなのだろう。私は昔から、こういう時に人の気持ちを推し量るのが苦手だ。先輩は怒ってなどいない筈なのに、どうしても捨てきれない可能性をいつまでも考えてしまう性質なのだ。
「うらちゃん、桃太郎電鉄について、話し合おうか」
あまりに突拍子もない意見に、嶋先輩の気持ち程推し量るのが難しいものも無いと感じた。一体何故と言いたいところだったが、このまま黙ったまま過ごすよりは幾分ましだと思い、結局はその提案に乗る事にした。
「桃鉄ですか。シリーズで言うと沢山発売されてますからね。私はスーパー桃太郎電鉄DXしかやった事が無いです」
「スーパーファミコンのソフトだね。Ⅲの後継だった」
普段はあまり気にした事が無いが、嶋先輩も随分なゲーマーに違い無いと私は思った。桃太郎電鉄と言われてシリーズ毎に区別が着く人など、そうそうは居ない。私の知る限り、そんな人は妹を除いて他に出会った事が無い。
「丁度良いね。私もスーパー桃太郎電鉄DXは子供の頃によくやったよ。友達と十年目に出現する油田を取り合ってよく喧嘩になった」
私は友達というか、妹と二人でプレイする事ばかりだったので、喧嘩をした記憶があまり無い。この手のゲームでは、先輩が言うような話を他でもよく聞くけれど、私はいつもピンとこない。私はともかく妹は筋金入りのゲーム好きだったので、どんな状況でもゲームを遊ぶ事に真面目だった。あの子はゲーム中、どんな酷い目にあったとて常にきゃいきゃいと楽しみ、そして最後まで逆転を諦めない。私もそんな妹に習って、ゲームでどんな事が起ころうとも、現実へ怒りを転嫁するような事があってはならないと常に戒めていた。
スーパー桃太郎電鉄DXは、最大四人プレイが可能なボードゲームで、サイコロを振って出た目だけ進む、日本風に言い換えればすごろくである。
プレイヤーは舞台となる日本列島を列車で駆け巡り、収益により自身の資産を増やしていくのが目的だ。最終的に自らの社を最も大きく成長させたプレイヤーの勝利である。
資産を増やす為にプレイヤーがすべきなのは、物件の購入だ。日本中に点在する様々な物件を投資、買収し、子会社から収益を得て資本を拡大させるのが、勝利への近道なのだ。大阪のたこ焼き屋のような小さな物件から、数十億円のプロ野球チームに至るまで、日本中に点在する様々な物件の中から儲ける術を模索し選りすぐってゆくのが楽しい。
スーパー桃太郎電鉄DXは十年以上前に発売されたゲームだが、現在に至るまで毎年と言って良い程同シリーズの新作が発売されている。よく出来たゲームだけに、今でも長く愛され続けているのだろう。
「うらちゃん、私は昨日、夢を見たんだよ」
「夢ですか。寝てる間に見る、夢?」
「そう。私とうらちゃんが桃太郎電鉄で勝負をする夢。ゲームの桃鉄と違うのは、実際に私達が電車に乗って日本中を駆け巡るんだ」
「面白そうですね」
コーヒーを啜りながら生返事のように答えたものの、確かにそれは本心だった。本当にそんなゲームがあったら最高だろう。
「北は北海道から南は沖縄まで津々浦々、特急カードや新幹線カードを駆使してね、目的地までを競い合うんだ。何でか知らないけど、毎度うらちゃんの方が早く到着してて悔しかったけど」
「先輩と桃鉄をプレイした事は無いですけど、確かに少し自信がありますよ」
「まあ、それは良いとしてね。私が驚いたのは、行ったことも無い日本の色んな場所の景色とか、空気とか、人もね、私はどうやら脳内でイメージして再現してたみたいなんだ」
私は先輩の話が最終的にどこへ着地をするのか、この辺りから大体の予想を付け始める。これはどうやら、今回の旅の目的にも繋がる話になりそうだ。
「そんな夢を見たらさ、目覚めた私は居ても立ってもいられなかったんだよ」
「先輩」
「何かね」
「水を差すようですけど、それが今回の旅の目的なんですね」
「そう、その通り。私はこの景色を実際に見聞する為に来たのだ」
「桃太郎電鉄は、どのシリーズをプレイしてますか?」
「これも不思議なんだけど、うらちゃんと同じく、スーパー桃太郎電鉄DXだけだね。しっかりとプレイしたのは」
「そうですか」
私は飲み切ったグラスに残された氷を、ストローでくるくると掻き混ぜながら、考える。
今日の先輩を見た限りでは、どうやら初めから鎌倉を目掛けてやって来たようだ。しかし、私の記憶違いだとしたら杞憂だけれど、スーパー桃太郎電鉄DXに鎌倉駅は登場していなかった気がするのだ。
そんな事を指摘するのは無粋だろうか。
私は先輩の話を生返事でかわしつつも、結局この事ばかりを考え耽ってしまった。言うべきか、言わざるべきか。先輩の目を盗み携帯電話で調べた結果、やはりスーパー桃太郎電鉄DXに鎌倉駅が登場しない裏付けがされてゆくばかりだった。
程無くして喫茶店を出た私達は、ただ何となく鎌倉の街をふらふらと歩いて回る事になった。先輩は目に見えるあらゆるものに敏感に反応し声を挙げる。錆びて何が書いてあるか分からない看板を前に笑ったり、猫の集会を発見して写真を撮ったり、まるで子供のようだった。
そうして鎌倉を中央辺りまで歩き、鎌倉駅のロータリーが視界に入って来たところで、おもむろに先輩はこちらに被りを振る。
「うらちゃんがさっきから何を考えているのか、大体の見当は付いているよ」
私は心中を見透かされてドキリとした。いや、この時点で先輩が何に気付いたのかなど分かりもしないのだが、不思議とその言葉には人を怯ませる迫力があった。
「何ですか?」
「スーパー桃太郎電鉄DXには鎌倉駅は登場しない」
先輩には確信があったのか、サングラスを外しにんまりとした笑顔をこちらに向けた。私は恐らく、心底間抜けな顔をしていたと思う。
「―驚きました」
「ふふふ。舐めて貰っては困るよ明智君。うらちゃんはそれを言うべきか言わざるべきかで迷ってたんだね」
何だか清々しいくらいに見透かされていたようだ。
「参りました」
「次にうらちゃんが考えているのはこうだ。知っているのに何故?」
「はい。何故ですか」
「正直私も、道中の電車内で調べるまでは気付かなかったんだよね。私が夢で見た鎌倉は温泉リゾート地として大開発が成されている筈だったんだけど、思った程その類の施設が検索に引っかからなかった。変だなと思って桃鉄のデータベースを検索してみたところ、鎌倉駅はスーパー桃太郎電鉄DXにおいて、登場すらしていなかった。その時、どうやら私は夢の中で勘違いをしていたみたいだと気が付いた」
鎌倉駅のロータリーは年配の観光客を中心として、様々な人で大賑わいだった。雑踏の中へ踏み込んだ事で私達の会話は中断を余儀なくされ、並び立つのも難しく、先輩と私は縦になって歩いた。私は記憶を辿り、先輩が何の記憶と混同していたのか予想を始める。そんな事をしても意味など無いのは分かってはいたが、何というか、これは私の癖みたいなものだ。
雑踏の中で先輩の背中を眺めながら、私はある結論に辿り着いた。関東、或いは東海道で有名な温泉リゾート地と言えば、熱海だ。熱海はスーパー桃太郎電鉄DXにも登場した駅で、温泉やホテルといった高額の物件が数多くあった筈。
鎌倉駅前をそのまま抜け、しばらく歩いたところでようやく周囲の人がまばらになり始める。先輩の背中は悠々としていて、一切の失敗を感じさせない。
「先輩が夢で混同したのは、熱海じゃないですか?」
前を歩いていた先輩はぐるっとこちらを振り返り、指をパチン!と鳴らした。
「大正解!流石うらちゃん」
私はその笑顔を目にし、先輩は熱海に行きたいと今後言い出すような事は、決して無いのであろうと感じていた。それはこの人の強さでもあり、冷たさでもある。
「良いんですか」
先輩は私の質問を予期していたかのように答える。
「良いのだ。どうやら私は、方便が欲しかっただけのようなのだ」
「方便?」
「如何にもうらちゃんが好きそうな話だったから、しめた!と思っただけなんだよ」
「はあ。私ですか」
先輩が何を言いたいのか判然とせず、どうやら私はとぼけた顔をしていたようだ。彼女は私の顔を見てくすくすと笑った。
「君は頭が良いようで悪いね。夢で見た場所を見聞したいと言ったじゃないか。そういう意味では何にも間違ってないんだよ。つまり私はサ、多分うらちゃんと旅行をしたかっただけなのだ。こんな話の一つでも持っていれば、君は楽しんでくれると思ったんだね」
成程。確かについさっきまではどんよりと沈んでいた気持ちも、先輩とゲーム話をしている内にあっさり回復をしてしまったようだ。
「よおし、次は大仏を見に行くぞ!」
この話は終わりと区切りをつけるように、先輩は声を荒げた。
スキップをしながらふらふらと走る先輩を眺めながら、私はまた、別の事を考え始める。
スーパー桃太郎電鉄DXには様々な便利アイテムが登場するが、その中に「夢のまた夢カード」というものがあった。すごろくでは勝ち目が無いと判断した時に使うアイテムで、日本中のどこかにランダムでワープが出来る、一か八かの博打アイテムである。
ここは熱海ではないが、先輩は件のカードでワープした場所に不満は無いようだ。では私にとってはどうか。それは今日が終わってみないと分からないけれど、先輩が私にとって「夢のまた夢カード」のような人であるというのは、言い得て妙であると感じていた。
きっと一人で居たらば、間違いなくこんな場所にワープは出来なかったのだから。
帰りに中古ゲームショップに寄ってスーパー桃太郎電鉄DXを探してみようかなどと、如何にも私らしくない発想に蓋をし、嶋先輩の後を追って歩く。
日はまだ高い。帰りの事を今から考えるのは早いであろう。
著/がるあん
絵/ヨツベ
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