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いじめられても死ねんかった。


小学校の校門までさほど距離のない一本道

最後の横断歩道で、登校する児童全員に


「うちの子をいじめないでください!」


と、目線を子供に合わせつつ
頭を下げながら声をかけ続ける祖母。

「やめてよ〜!いいから!!」

恥ずかしさと、報復への恐怖と
あてはまる言葉がない、初めての居場所のない感覚と
ごちゃごちゃの居たたまれない想い。


そして、その時の祖母の横顔。


覚えている一場面は、ちょうど
小学校の4年生くらいだったかしらと。


10歳を超えてくると、いじめの内容も
個人から集団へとエスカレートしてくるもので


小学5年の秋か冬ぐらいに、真剣に命を絶とう!と決めて

それまでに培った、ミステリーの完全犯罪で
一番痛くなくて、苦しくなく死ねそうなものをチョイスし

これならいける!

と自信満々で行動しようと思った時


手に入らないものが一つだけあって、
(なにせ、小学生の浅知恵なのでw)

他に手立てはないものか?
代用とか。。。

そんなことを一人、黙々と考えながら

一応、手首を切るとか
学校の屋上から飛び降りるとかもリアルに考え、

自分が死んだあとの世界もリアルに想像しまくってみました。


そこで、気づいたんですよ。


なんのために死にたいのかって。

私の場合は、いじめを苦に自殺。ではなく、

復讐のためでした。


そう、復讐に命をかけたのです。


で〜、死んだ後
ちょっと復讐はできるけど、

いじめたやつらが、大人になるにつれて
私の存在は忘れ、

罪悪感も最悪持たない可能性すらある。

そして、小学生だから
周りにぬくぬく守られて生活していくのだ!


というのがイメージされたら

死ぬことはやめました(笑)


でも、あの時の
死のうという気持ちは本気だった。。。



時代劇を見すぎていて、

「舌を噛んだら人は死ぬ!」と思い込んでいた当時。


うっかり、人生初の舌を噛んで
あ〜これで死ぬんだな〜と思ったら


めちゃくちゃ、校庭で泣きましたけどね。


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www チーン。


舌を噛み切ったら死ぬけど、噛んだだけでは死にません。

泣いていたら、なかなか自分が死なないもんだから、
そこで気づいたのよね。

あれ?舌噛んだだけでは死なないのかって(大笑)



今ではあまり覚えていませんが
小学生の後半はいじめやら
友達とのグループのなんとかとか

中一くらいまでは

本当に生きにくい環境で、ひねくれました。。。


私は4歳の時から祖母と二人暮らし。

祖母は、大正生まれの戦争を生きた人なので
我が家は儒教的なわりと厳しい教育だったのもあり。


いじめられても、

「大人になって見返せばいい!」と言われ続け
「人間は死んでから初めて通知表が出るんだ」とも。


祖母は、本当に強い人で偉大でした。。。w


当時を振り返ると、

自分が母親でも、登校中の子供に
うちの子をいじめないでくれ!と頭を下げることは、ちょっとできないな〜と。

それをしたところで、問題は解決できないからなんだけど
今回、そういう話ではなくって、


ただ、その時の祖母の横顔に宿るものがね

今思うと、

静かな怒りだったのだな〜と思うのです。


怒りは、

焚き火のようにゴウゴウ燃えているようなものもあれば、

炭火のように、一見どこが燃えているのかわからないくらい
白い灰に隠れて、小さな赤い光が絶え間なく瞬いているような

そういう静かなものもがあります。


過去のいじめ体験で傷ついた自分の一部を
私は、10年近くかけてゆるめて、

いまでは、本当スッカリ反応しなくなっているのですが、

ニュートラルなその状態になったからこそ、

あの時の怒りの質が、感じられるようにもなりました。



今、思うと

本当に強い力で、原動力で、命なんだな〜と。

そんな怒りを
美しいものだと感じたのは、
はじめてです。


そういう力を「慈悲」「慈愛」「女性生」「女神」「グレートマザー」
とかいう言葉にしてもよいのですが

慈愛というパワーが怒りというエネルギーになっただけで、


その力は、言葉にはできない

祖母そのもの(存在)だな。。。。

というのも感じています。



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私は個人的に

人が死を選択することについて、

良し悪しで分類することはしていません。
(道徳的な観点は除外して書いています。)


たった一人の友人が
昔、死にたいと言った時は

「やめてー」と言ったけれど、

友人の姿を見ていて
次第に、

本当に死ぬときはお別れだけ言ってくれ!

と伝えるようになりました。


それは、なぜかというと友人の場合は、
現状逃避ではなく、未来の生き方に対する選択だったから。


結局、生きるを選択したので
今も会えるから嬉しいんですけどね〜^^




腹をくくる
覚悟を決める


という力は、
祖母に見た存在の力でもあります。

生き方の選択は、常に自分に委ねられている。

生きる権利は全員にある。

もっとも自由で
もっとも強い力


あなたという

存在の力
存在の光


生きる意味を探すより
生きる価値を感じ

生きる表現をしていく方が

本当の意味で、意味があるんじゃないかな〜

などと、個人的には感じています。



環境や外側から逃げてもいい。

でも、自分からは逃げちゃダメだ!


私は、産まれたことへの罪悪感や
生きることへの価値の無さ
誰にもわかってもらえない孤独感を
幼い時に度々感じ、

自己価値なんか超!低く、
人見知りで笑顔も挨拶も緊張してできず、
人当たりも良くなかったけど


今では、子供のように楽しくやっています^^


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全ての人に共通する魂の使命


それは


存在の力を感じ、世界に発揮すること。


自分を信じて、突き進めーーーー (◍•ᴗ•◍)





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