調和と均衡

冬が来て、木々の葉が落ちる。土の中では微生物がその落ち葉を土に変え、大地に還す。その大地では寒さに耐え忍んだ新たな命が春に芽生え、その若葉を虫が食む。虫は鳥に、鳥は肉食獣によって捕食され、その肉食獣もいつかは命を全うし、土に還り、落ち葉とともに草木の養分となる。

自然界は、それこそ「調和のとれた」としか表現できないような絶妙なバランスでできているように見える。

しかし、それは私たち人間が、世界を優しく、美しく解釈したいがために、単にそのように見ているだけであって、自然界は本当はもっとずっとずっとシビアだ。

私は大自然の中で生まれ育ったからこそ知っている。自然は優しくはない。自然に慈悲はない。

「自然の恵み」というが、自然が「恵みを与えてくれる」ことはなない。我々が、自然の中で、他の生物との競争の中で、勝ち取るのだ。

自然の中で多種多様な生物が助け合い、尊重し合い、ハーモニー(調和)を奏でているわけではない。騙し合い、出し抜き合い、衝突しながら、厳しい生存競争の末、今日一日を生き残った結果として、様々な命の「均衡」が保たれてるにすぎない。

人間社会の多様性を叫ぶとき、人間社会を自然界になぞらえる必要はない。「自然=人としての正解」ではない。だが、人間社会を、単に「優しい」「ハーモニー」などと美化された自然になぞらえることは違うと思う。

「調和」と「均衡」を履き違えてはならない。




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