政治的自由の根幹である「選挙活動の自由」は例外を除いて一切許容されるべきである。

こんばんは、イナモトです。

2020年7月5日、今から約一月前、東京都知事選挙が執行されました。私個人としては宇都宮健児候補を影ながら応援していましたので、問題の多い現職の小池百合子氏の当選は至極残念でありました。

この選挙執行当日、立憲民主党代表の枝野幸男氏が「宇都宮餃子」の投稿をTwitterに行い「物議を醸し」ました。

TV、新聞などのメディアでも「問題行動」のように扱われましたが、投票執行日当日の行動として「特定の政党や候補への呼びかけ」は違法ですが、「投票行動の報告」は合法です。枝野氏の発言はそれですらない「食べ物のの話題」なのですから、違法性は明白に皆無です。

現状でTV、新聞等の大手メディアは既に政権と「利害共同体」になっており、少なくとも政治談議に対しては流れてくる言説を「一歩引いて」考察する必要はあると思っています。なのでそれらが枝野氏の言動を「問題のように発信する」行為は不快には感じたものの、まあその程度なのだろう、とは思いました。

私が問題に感じたのは、普段左派/リベラル的な言動をしているネットユーザーまでが枝野氏の発言を攻撃したことです。

日本は「大正デモクラシー」期に普通選挙制度(成人男性限定の不十分すぎるものでしたが)が導入されましたが、その時に内務官僚が政党政治家に力を持たせ過ぎないように選挙のやり方を大きく規制しました。そしてその規定は選挙毎に厳しくなっていきました。

戦後も一旦は「GHQの指導」等もあり選挙規制は大きく緩和されました。しかし、結局「日本人」は公職選挙法を厳しくしていき、「自由のない選挙」を再び作り上げてしまったのです。

自由権に基づく民主的な社会というのは左派/リベラルの理想であるはずです。そして政治的自由はその根幹です。政治的自由が認められない社会というのは、政権とそれに連なる人たちだけが「恩恵に預かれる」社会です。

左派/リベラルこそこの点を問題視して「選挙の自由」を訴えるべきではなかったのでしょうか。枝野氏の発言を「問題視」してしまった人たちは、この絶好の機会を自ら逸し、自民党公明党やその補完勢力を利する行為に加担してしまったという自覚は持って頂きたく存じます。

繰り返しますが、政治的自由は民主主義の根幹です。ここに目を向けず、意味不明な選挙規制を受け入れるなら、左派/リベラルも「現政権の補完勢力」として終るでしょう。

そうなって欲しくないので、敢えて書かせて頂きました。

自由、平等、質の高い民主主義を実現させるために。

2020年8月2日 イナモトリュウシ

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