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最近思ってること

初めましてこの記事は読むだけなら3分程度でしょう。
最近ちょくちょくツウィートしてますが、「凄すぎる曲」が多すぎませんか?私は作曲経験があるわけでも演奏するわけでもないので完全な消費者ですが、びっくりさせられる、良いと思ってしまう曲が近年超多いです。ここからは私の音楽感を作ったバンドや曲、歴史を語るお。

初めに私は現在22歳の男性です。ので音楽感も男性寄りなことはご了承だ。

クラシックは教養といいますが、やっぱり小・中学の頃に聴いていた曲に好みを引っ張られますね。私でいうと2006年辺りです。そしてこの頃の環境トップメタは・・・!

コブクロです。

もう大大大無双してましたね。2004年から「永久にともに」「ここにしか咲かない花」「桜」「君という名の翼」「蕾」と連続して名曲しか作れない小渕と黒田いつもありがとうって感じです。私が考える平成6強(残り宇多田、サザン、ミスチル、ドリカム、安室)の一角なのだ。


また、外せないのは音楽の変化です。2006辺りからの音楽は形態も作曲もどんどん面白く変わっていきます。要因はネットの普及、2004年のiTunes music store、2008年のSpotifyなどでしょうか。

2008年頃になると電子化された音楽が本格的に商業として成立します。これによりいわゆるチャート、いわゆるランキング、いわゆるjpopの定義はやばめな雰囲気になってきました。
まず「売れている曲=人気な曲」という当たり前の方程式が濁ってきます。この時はまだ世間のアニソンなどに対する抵抗も強かったですが、カラオケでの人気曲は残酷な天使のテーゼなどのアニソンでした。しかし世間では崖の上のポニョなどのジブリ曲、CD売上では嵐が無双し配信ではGReeeeNのキセキが無双するといったどれが人気なんや状態でした。ここからは2009.2010でけいおん!のDon’t say "lazy"などの楽曲がAmazonランキング、オリコンを一位獲得したり2011~以降のオリコンがアイドルの握手券商法に支配されたりもうカオス状態でした。

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↑なんだこれ

近年の音楽は完全にサブスクリプションによる形態が定着しCDの売上は凄い(皮肉)ことになってますね。そして作曲のレベルも凄い(褒め言葉)ことになってます。

本題は置いといて冗談に戻ります。最近のjpopに関して私は疎いのでここからはやべえと思った曲を紹介していきますよ。

風/コブクロ 2002

コブクロは冗談じゃない💢💢💢近年とは。コブクロのダイマか?もはや懐かしさすら感じるでしょうサビのアカペラ、自信がはみ出してないか?紅白だけどギター以外は忘れたのか?普通に上手すぎて音を作る必要がないと思わせる歌唱力を保存したい。誰かを思う曲で、常人なら「思い出す」と言うところを「あなたと見た春を探す」と表現しているの、、、、よ。

ベノム/かいりきベア 2018

僕はこの曲をサブスクの覇者~ベノベノム~と呼んで嘘。この曲のやばスギポイントは最初の”一音”です。「プレイリストで音楽を聞く」という昨今の視聴形態に対して完璧な出だし。イントロの役割として曲に引き込む、前の音楽と区切りをつけることがあると感じるけどベノムはそれを最初の一音でクリアしているではないか。”音作り”におそらく最も拘っているボカロP。

エイリアンエイリアン/ナユタン星人 2016

どうせならマジカルミライverで。初見、体感時間が短すぎてビビりチビらせて頂きました。曲の構成・・・オーバー。最初僕はこの曲を1番の時点ではAメロ→(超短いBメロ:ナニカが起こる胸騒ぎ)→サビだと感じました。しかし2番に入った途端意識は消失、曲が終わり、焼いていたパンは焼失していました。なんと2番からの構成は明確にAメロ→Bメロ→大サビへの構成を組んでいるのである。結論から言うと1番はAメロを抜いていた。そして2番でサビだと錯覚した部分は1番で聞いたはずのBメロだった。
つまりB→サビ→A→B(盛り上がりでここをサビだと錯覚させる)→(2番サビなし)大サビ前→大サビ→大サビ(転調)である。
手のひらの上でロボットダンスっちまった。最初から最後まで飽きさせない曲構成。許せる(←なに?)。

メルティランドナイトメア/はるまきごはん 2018

お前ボカロばっかじゃねえか?うん。最近Bメロとかサビ全体にかけてチロチロ音(YOASOBI:Ayaseがよくやるやつ)とかコロコロした短い音をちりばめて疾走感を持たせるのが主流に感じるがこの曲は真逆。「緊張と緩和」のラッシュが気持ちいい。独特な雰囲気と合わせてスルメ曲。ミクさんの調教もスタッカートぎみになっているね!



ここから黒い余談↓
クラシックは教養だろうけどjpopまで教養になって欲しくない。リズムのいい曲、テンポのいい曲が主流になって遅めのバラードという典型的なjpopは廃れてしまった。音楽はまだまだ広がっていくのに、消費者側の楽しみ方は狭まっているような。僕は教養がないのでクラシックの良さは分からない。この「良いと思える範囲」は小・中学校でほとんど決まるのだろうと思う。仮に音楽の多様化で、各々が好きな系統のリズムをずっと聞いているとしたら、世間単位の”ライブ感”が消えてしまう。作曲などしないなら、尖った感性はただ「良いと思える範囲」が狭いだけになってしまう。

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