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長い文になります。

自分が生まれ育った地域の氏神様を大切にしている。

今は気が向いた時に近況報告をしたり、お参りをするのが日課で、癖なのか仕事場に近い神社にも定期的にお参りをするようになった。もう半年以上は続いている。

私はもともと泣き虫で、怒られたり、自分の不甲斐なさを感じるとすぐに泣いてしまう性格だ。

気持ちがわーっとなった時は神社へ行き、心を落ち着ける習慣がついた。


ふと思えば、仕事場で涙を流したり、落ち込んだりする日はいつも神社へお参りしていることに気がついた。
まぁ、そんなこともあるものかと、その時は簡単に流していた。

先日、いつものようにお参りをしようと鳥居をくぐろうとした時に、近所のおじさんに声をかけられた。いつも柴犬を連れて散歩をしていて、たまに立ち話をする。

「お参りしてるんですね、知ってました?ここいわく付きの神社なんですよ」

どきっとした。

「いわく付き」と言われると嫌な感じがする。2人で境内まで上がって本殿横の説明文を読んだが、難しい言葉が羅列していてよく分からなかった。

普段、住む部屋を選ぶ時や散歩をする時は自分の直感を頼りにしていて、「あ、嫌だなぁここ」という自分の気持ちには正直に従うようにしている。

お参りしている神社は今までそんなこと思ったことがなかったので、その時は楽観的に気にしないことにした。

数日後、また思い悩んで落ち込む事があり、頭の中を整理するために神社へ向かった。迷いなく、境内の奥まで足を進め、しばらく腰をかけてぼーっと木々が揺れるのを眺めていた。

とてつもない眠気が来て、気づいたら眠っていた。どれくらいの時間が経っていたのかわからない。自分の足に根っこが生えたみたいに、その場から動けなくなっていた。

ああ、このままどうしたらいいんだろう。
ずーっとこうしていたい気もするし、でも帰らないといけない気もする。また涙が出てきた時に同僚が迎えに来てくれた。

よく分からないけれど、その時瞬時に頭の中が「あ、帰らんといかん」という気持ちになり、その場にすっと立ち上がることができた。暑い中探させてしまった事にとてつもない申し訳なさもあった。

1人だったら本当に戻れなかったかもしれないと今でも思う。

その日の夜、同僚に迎えに来てくれたお礼を伝えた。同僚は「神社が思ったよりも広かったから今度探検しよう」と誘ってくれた。

あの神社、そんなに広かったっけ。
私の感覚では普通の神社、よくあるような小さい神社程度で広いという感覚はなかった。

その週末にご飯を一緒に食べに行き、また神社の話になった。神社の広さについて疑問を持ったことを伝えると、同僚は私があの日いた場所の横に道があったと言う。道がずっと続いていたので広く感じたと。

自分の記憶をよく辿ってみても道と呼べるような道が無かったので2人でとても怖くなった。

ここで初めて神社についてよく調べてみたら、おじさんがいわく付きと言っていた理由がわかった。
「怨念」やら「心霊」やら、そんな話がたくさん。

神社にいる時、私は嫌な気がしなかったが、同僚は「ここから早く立ち去りたい」と思っていたらしい。

なにも知らず同僚の言っていた道を進んでいたらどうなっていただろう。それを確かめることはもうないと思う。


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