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3.想念形体(エレメンタル)~波動放射について

前回の投稿で、ものすごく簡単に、

「私たちの精神活動である思考や感情(想念)は、メンタル界やアストラル界の要素(エレメンタル・エッセンス)から作られる形体(想念形体(エレメンタル))となって浮遊したり、波動となって放射されたりする。」

と要約しました。想念の現れ方には、「波動放射」と、「想念形体浮遊」二つの面があります。これらを具体的に見てみましょう。

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「波動放射」と「想念形体浮遊」について、「思いは生きている」P21~44を読むと、上図のようになりました。これは、私個人の図解表現ですので、誤っているかもしれませんし、根本的に解釈がおかしいところもあるかもしれません。もし、不適切なところがありましたらお知らせ下さい。

私たちのあらゆる思いは、想念形体を作り出すわけですが、それらは上図のように分類されるようです。これらを順番に見てみましょう。

人は思いを起こすと自らのメンタル体内に、ある律動が起きて二つの結果が生じる。第一は波動を生ずること。第二には想念形態を生ずることです。まず波動放射について見ていきます。

波動放射

あるメンタル体が波(思い)を送りだす。

相手の人のメンタル体にぶつかる。

相手の人に同タイプの思いが起きる。

放射している振動は、自然界の他の全ての振動と同じように、その源からの距離に応じて力が弱くなる。(低級な思いほど消えていくが、高級なものほど遠くまで届く。)

これは、「波を出す人=話す人」、「波を受ける人=聞く人」に喩えると分かり易い。

話す人の声は空気中に音波の動きを起こす。
それはこの人からあらゆる方向に放射される。

近くにいる人には大きく聞こえ、遠くにいる人には小さく聞こえる。

届く距離は、声の力(=思いの力)とその人の発音の明瞭さ(=思いの深さ)による。また、この声(=思い)は、何か別のことに集中していたりする人の耳には入らない。(何か別の思いに深く囚われている人の心には影響を与えずに通り過ぎていく。

放射している振動は「思いの性質」は伝えるが、「何を考えているか」は伝えない。

例えば、ヒンズー教徒が、クリシュナに献身して、夢中になって座っているとすると、この人から注ぎ出る感情の波はその波の影響下に来るあらゆる人々の献身的感情を刺激する。皆がクリシュナに献身するのではなく、回教徒の場合はアラーに対して、キリスト教徒はイエスに献身するということである。

高級な思いを放射すると、その振動は当然ながら同じ性質の振動にすでに慣れていた心に特に強く作用するが、その振動がぶつかるメンタル体には、いずれにも或る影響を与える。だから、高級な思いに慣れていない人々の中に、高級な思いの力を目ざます傾向がその振動にはある。

だから、全く意識してなくても、高尚なことを考える人はみな伝道者のような仕事をしていることは明白である。
「思いは生きている」P23~25要約

(幽界(アストラル界)・霊界(メンタル界)の霊界通信を読むと距離は関係なく、テレパシーのように思いが伝わるような記述が多いです。現界における心霊治療においても距離に関係なく遠く離れた人を治すことができるようです。という事で「波動放射は距離に応じて力が弱くなる」と書かれていますが、私的には理解できていません。思いの中身ではなく思いの性質だからという事でしょうか?それとも肉体を伴っていると制約を受けるのでしょうか?)

上記のように、波動放射に関しては、波動を放つ人の思いは、そのまま丸ごと伝わっていくのではなく、「思いの性質」を伝えるようです。さて、この「思い」が「想念形体」になると、どうなるのでしょうか?

つづく~

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