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4.想念形体(エレメンタル)~「個人的な想念形体」と「漂う想念形体」

人は思いを起こすと自らのメンタル体内に、ある律動が起きて二つの結果が生じる。第一は波動を生ずること。第二には想念形態を生ずること。

前回は、波動放射について観てみましたが、今回から「想念形体」について観ていきます。

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「波動放射」と、「想念形体浮遊」について、「思いは生きている」P21~44を読むと、上図のようになりました。これは、私個人の図解表現ですので、誤っているかもしれませんし、根本的に解釈がおかしいところもあるかもしれません。もし、不適切なところがありましたら、お知らせ下さい。

想念形体の概要

エレメンタル・エッセンスは、我々をとりまいている半知性的生命で、メンタル界と、アストラル界の資質を活気づけている。この資質は、人間の思いにきわめて容易に応ずる。

メンタル体、アストラル体から送り出される思いは、直ちにこの生気を与えられた資質を一時的な媒体としてまとうのである。

このような思いは、さしあたり一種の生き物となり、思いの力はそれの魂であり、活気づけられた資質はそのということになる。これが想念形体(エレメンタル)である。

想念形体には無限に多くの色や形がある。思いの性質がその色を決定する。

人の思いが、誰か他の人に直接つながれると、その結果生じる想念形体はその人に向かって動いて行き、その人のアストラル体とメンタル体に注ぎかける。

では、この図の中の
②個人的な想念形体
③どこにも向けられていない想念形体

について観ていきます。

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②個人的な感情に基づいた想念形体(個人的な想念形体)

もし、思いが自分自身についてであると、即ち、個人的な感情に基づいたものであると、その思いは思いを作り出した人のまわりを徘徊し、この人の受身的状態の瞬間には、いつでもその人に反応しようとする。

例えば、みだらな思いの結果出来た想念形体・・・仕事で忙しく働いている間は、その人のアストラル体はその仕事以外の振動に影響を受けないが、仕事をやめて休むと、この人には明確な思いがなくなると、知らぬ間にこっそり近づくそのみだらな振動をこの人は感じるようになる。

このように誘惑は外から来るのではなく、誘惑は自分自身の想念形体の自分への当然な反応に他ならない。人は皆、自分自身の家である箱の中に閉じ込められ、自分の習慣的な思いによって創造した想念形体の塊に取り囲まれて空間を旅している。このような媒体を通して人は世界を眺める。外部から自分に達するあらゆる振動の比率は多かれ少なかれその人の持つ振動の比率によって修正される。こうして、その人が思いと感情の統御を学ぶまでは、その人はありのままには何も見ていない。

「他人は自分の鏡」という言葉があります。一般的には「人の振り見て我が振り直せ」のような意味合いだと思うのですが、これを、個人的な感情に基づいた想念形体に囲まれた人が、外の世界を観ようとした時、その想念形体に脚色された世界しか観えず、自分で作り上げた世界が投影されている、いわば外の世界は、自分の思いの鏡であるとの解釈もできます。

お風呂上りにビールを飲みたくなる。ふと仕事の集中が途切れるとタバコを吸いたくなる。誰かを失った悲しい思いが不意にこみ上げてくる。明日のプレゼンの緊張が襲ってきて不安になる。自分がどう思われているか気になる。人から言われた言葉や、態度が気になる。喧嘩をした後の後味が悪い。酔っ払った時に感情的になって放った言葉が気になる。
癖や習慣性のある事象や自分自身や他人の行動・言動などの回顧、不安や後悔、取り越し苦労なども想念形体のひとつという事になるのでしょう。

「仕事で忙しく働いている間は、その人のアストラル体はその仕事以外の振動に影響を受けない」これは、逆転の発想で、「何かに集中している時には、自分の感情に基づいた想念形体は近づいてこない。」という事になります。思いと感情の統御を学ぶヒントになりそうです。

この世界で毎日を暮らしていると、確かに、仕事に集中している時などには、悩み事が消えていたりしますね。忙しくしていると、お腹が空いている事にも気が付かない時もあります。

まさに「寝食を忘れて没頭する」です。この何かに集中している時、この時こそ、今をありのままに生きている状態であるというわけですね。
ギターを演奏している時、歌を歌っている時、カメラを構えて被写体と向き合っている時、スポーツをしている時、絵を描いている時・・・などなど、何かに集中する・・・邪心が入らない状態でもありますね。

ならば、ヴィパッサナー瞑想も効果がありそうです。なにしろ、ヴィパッサナーの意味は、「ものごとをありのままに見る」ですから^^

以前の投稿より

「ありのままを見る」手法としては、「自己催眠」の「自律訓練法」が挙げられると思います。手足が重い~手足が暖かい~お腹が暖かい~額が涼しい~など、身体的な感覚に意識を集中させるというものです。この場合は自分自身の触覚への意識ですが、さらに同じような方法として、「ヴィパッサナー瞑想」という瞑想法があります。これは、「物事をあるがままに見る」「今という瞬間に完全に注意を集中する」というもので、例えば歩いていているときに、左足が上がった、左足が地面に付いた、右足が上がった、右足が地面に付いた、など、自分の動作を一つ一つ意識していくという動的瞑想法です。
これらの集中意識を視覚や聴覚に向ければ「私は今、○○を見ている」「私は今、○○を聴いている」となります。

③個人的でも、他の人にも向けられていない想念形体

それは単に、それを作った人によってはじめに送り出された振動を放射しながら、大気の中を無関心に漂っている。もし、それが、誰か他の人のメンタル体に接触しなければ、この放射は次第にエネルギーの貯えを使い尽くし、やがて粉々になる。

手近なメンタル体に共鳴振動を目覚めさせることに成功すると、引かれてそのメンタル体に吸収される。そして、その形体を生んだ時の思いと実際に同じ思いが、メンタル体の中に作られる。想念形体はごく僅かなメンタル体にしか吸収されないが、その僅かな場合には、はじめの考えをそっくり再現する。

メンタル体に吸収される場合については、④の「相手に向けられた想念形体」で観ていきますが、「波動放射」の伝わり方が「まるごと伝わるのではなく「思いの性質」を伝える」のに対して、想念形体は、「実際に同じ思いや考えが再現される」ようです。

具体的にはどういう事なのでしょう。次回に続きます。

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