ナチュラルメイクなんてできない

大学3年生になる春、児童福祉の活動でお世話になっている小学校の卒業式に参加してからのサークルに行くという予定の日があった。しかし自意識過剰な私はスーツに合わせてオフィシャルでナチュラルで、とにかく色味の少ない弱っちい化粧をした己をサークルの皆にどうしても晒したくなかったため小学校の卒業式が終わって大学に着くと化粧室に一直線、化粧をいつも通りの強めの系統に直した。基本的に顔の輪郭もコンプレックスなので髪を下ろし、真面目に上まで留めていたブラウスのボタンをひとつだけ外した。やっと息ができる。以前述べたように不安を払拭する目的でイヤリングも付けた。しかし流石に大荷物を抱えて小学校前の急な坂を登る自信は無く、着替えまでは持ってきていなかった。

マナーとして定められたオフィシャルな服装は清潔感の有無が重要視されており、今の自分のこの状態はスーツの模範的な着こなしからはかけ離れている。言うなればマナー違反。しかし、鏡に映ったスーツにバチバチメイクの自分を私はそこまで清潔感の無いみすぼらしいものとは思わなかった。

なんならこれにワインレッド系のネイル合わせたら悪者の組織の秘書あたりのポジションに居そうでかっこよくね?とさえ思っていた。それはもう少し美人で脚が長くてスタイルが良ければの話だ。悲しき平成のオタク厨二病当時20歳の成れの果てである。

「オフィシャルな場でスーツを着る時のメイクはこう、髪型はこう」ってまじで誰が決めたんだろうか。厚化粧だとアイシャドウやら何やらの粉が落ちてきそう、髪を下ろしていると抜けた髪が落ちやすいから清潔感の無いものとされているんだろうか。相手の顔が見えにくいと人間は不安になる生き物だと言うことは専攻分野のお陰でよく知っているので髪型はまあわかるし、万が一のシャドウの粉飛びにも細心の注意を払う必要のある食品関係の仕事なら仕方無い。しかし髪型を規定してまで顔を晒させるのなら化粧くらい譲歩してほしい。好きな格好はプライベートですればいいだろ、化粧ごときで何だと思われるかもしれないが、私はむしろオフィシャルな場で化粧ごときでその日の自分の元々大してありもしない自信をもっと失って生きづらくなる方が嫌だ。

なんならレディースのスーツなんてメンズに比べるとなぜか身体のラインが出るしそれで刺激されるコンプレックスもあるからスーツ自体もう…と思ったこともあるが、大人しく自分が痩せることで対応した。しかし購入時から12kgも痩せたのでスーツが合わなくなり、ベルトを締めるとスカートが短く見えてそれはそれで気に食わないので問題は後を絶たない。

まあでも「オフィシャルで引き締まった格好」がある程度決まって記号化されていることによるメリットもわかる。場の雰囲気作り及び治安の維持とか。服選びに迷う手間も省けるし、その格好をしているだけでひとまず「まともな人」と認識してもらえる。正装の無い冠婚葬祭、極端な話参列者が色とりどりのカジュアルな服を着たお葬式とかを「元々そういう文化じゃない」日本で見るとなると、私だって「新しくていいじゃん、故人も明るく送り出されたいかもよ」と思う片隅でほんの少し抵抗を感じてしまう。服装も礼儀の一種というか文化というか……でも何故それが礼儀とされ文化と認められているか、それに沿わないものは否定されるべきなのか……これもまた考え出したらキリが無い。服装頭髪化粧の自由を認めすぎるとそのうち式典で並んで座った時隣の人に当たって危なそうなくらいでかい兜を被ってくる人とか出てきそうで恐いし。多様性は基本的に否定されるべきじゃないけど、それによって大きく傷つく誰かがいるなら一概に正義とも言えないことは「心は女性だ」という男性が女子トイレに入ってきて性犯罪を犯した事例を沢山見て嫌というほど分かっている。

懸命に多様性の目線で理屈こねようとしてるけど、実際せざるを得なかったナチュラルメイクの自分に絶望しながら就職の面接会場に向かっているこの電車の中でブログを書き始めたせいである。私は就活でも式典でもナチュラルメイクなんかしたくない!!!仕方なくするけど!!!ばか!!!

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