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out of focus。

いつもおさんぽで撮れた写真をペタペタ貼って、ゆるーい記事を書いている spinozamotors です。

そんなわたしですが、1年前の記事にこんなことを書いていました。

今どきのデジタルカメラはなんでも鮮明に撮れてしまいます。iPhone でも情け容赦なく鮮明な写真が撮れます。ある意味「思い出としての情感」を醸し出せるような機材は見つけ難くなってしまったのでしょうか。

spinozamotors「ヨーロッパの記憶」

「自分の感性とリンク」するような、主観的な意味での「いい写真」を探している気がします。

同上


ふだんは 愛機 SIGMA fp が吐き出してくれるいい感じの写真を見て「なんかいい感じ〜!」といって楽しんでいるわたしですが、はたして「自分の感性とリンク」するような写真に出会えたのでしょうか?


これまで撮った写真を見返していると、いくつか焦点が外れた、いわゆる「ピンボケ(out of focus)」写真が出てきます。ある意味「失敗作」なのですが、どこか惹かれるものを感じます。

今回は、そんな「ピンボケの写真」を並べて、「うーむ」と考えてみるという「まじめそうで、でもゆるーい」記事です。

まあ、たいしたことは書いていませんし、既出の写真がほとんどですが、よろしければぜひご一緒に!


ピンボケな夜景


にじむ街のあかりがシンプルに美しく感じます。
そこに映されているものはありきたりな日常なんだけど、なんだかステキじゃないですか?

がんばればいい感じの写真になりそうだし、こんな感じの写真もいいかなと思うけど、でも、わたしが探しているものとは少し違う気がするのです…


ピンボケなスナップ


ピントが甘いとリアリティがうすれて、古い記憶とリンクし始める。どこか幻想的な世界が忍び寄る。忘れかけていた感情が心の奥で動き出す。静かにしていないとすぐに消えてしまう儚い情感。

見えているものだけがほんとうの世界ではないよ。
しょせん「世界」はわたしの中で造られた幻想なんだから…


モノクローム


通勤の電車って「意識ここにあらず状態」なことも多くないですか?

ただ目的の電車に乗り、ただ目的の駅で吐き出され…
なので、意識としてもピントはどこにも合っていない。この写真のように。


感覚のタガが外れると、意識はどこかでこんな非現実な光景を目にしているかも知れません。

めっちゃ手ブレの失敗作ですが、なんだか躍動感を感じて残していました。もっと ステキな失敗作 に出会えたらいいな、と思っています。


この絵は常識的には「建設中の高速道路」なのでしょう。

でも意識が緩んだ状態では、意味を剥ぎ取られた 得体の知れない何か として現前する。まるでサルトルの「マロニエの根」みたいに。


彩度を抑える


被写体そのものではなくて、そこから醸し出されるなつかしさや既視感など、記憶とのリンクを感じたい。そんなとき、解像感がありすぎると対象がギラギラして雰囲気に浸ることを妨げてしまう。

色彩も同じで、彩度が高いと現実感が強くなる。かといってモノクロにすると逆に迫力が強すぎる。これくらいほんのり色を残しておくのがいいのかも。

そういえば、「夢はモノクロかカラーか?」って話題がありますが、夢は感情の流れ/ストーリーに重点があって、絵的には色や形にそれほど焦点があっていない、いわば「彩度を落としたピンボケな絵」って感じじゃないでしょうか? ここでの写真のような…


記憶の奥底に眠る、従って覚えてもおらず意識もできない思い出や感覚を、いい感じに呼び覚ますような映像。そんなもの存在するのだろうか?

昨日今日撮った写真で「なつかしさ」を感じたり、過去のあたたかさやせつなさ、ほんのりとした幸せな感覚なんかを呼び覚ましたりできるんだろうか?




おわりに



自分は何を探してるんだろ?


一般的な意味での「いい写真」を目指さずに、「自分の感性にリンクする」いわば プルーストのマドレーヌ みたいな写真を探す、そんな試みの途中経過でした。

そしてどうやら、わたしにとっての マドレーヌ は狙って撮るものじゃなくて、偶然出会ってしまうようなものじゃないかなと思っています。だから、そんな写真に出会えるまでシャッターを切り続けていこうかなと思います。(と、それっぽくまとめてみる)

などというお話でした。

こんな ごく個人的な試みとたわごとに最後までお付き合いいただきありがとうございました。



エッフェル塔(既出)
これはどちらかというと「思い出の写真」。