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〈魔法〉は存在する

目次
①種明かし
②騙されたくない?
③暗黙のルール
④余談
⑤〈魔法〉は存在する

忙しい人のための結論まとめ

フィクションにはフィクションにしか生み出せない感動があり、その感動が僕たちの心にもたらす変化こそ〈魔法〉である。このような〈魔法〉はそのフィクションが成立するために必要な〈暗黙のルール〉を守り、自らフィクションを楽しもうとする人にしか訪れない。

①種明かし

僕はマジックが好きです。油性ペンの方じゃなくて、手品の方です。かれこれ10年くらい趣味でマジックをしています。

突然ですが、マジシャン界隈のSNSは最近頻繁に炎上します。その理由は「種明かし」にあります。以前からテレビ番組による「種明かし」は行われていたのですが、ここ最近Youtubeの普及によって「種明かし」が盛んになったことによって、「種明かし」の是非を問う「議論」が活発になったのです。「議論」としたのは、多くの場合それがSNS上のやりとりに止まっているため本当の意味での議論とは程遠いものであるからです。

半ば当然ですが、多くのマジシャンたちは「種明かし」に反対しています。特にプロなんかはそれで生活しているわけですから。

そこで、法律で禁止すればいいじゃないかということになるわけです。長くなるので理由は省略しますが、しかしそれも中々難しいのです。

だからその「議論」は感情論に陥りがちですし、毎回似たような会話がSNSのTLで繰り返されています。

そして、「種明かし」があるところには「種明かしを見る人」がいるわけです。個人的には(あくまで個人的には)「種明かし」を見る事自体はあまり悪いことだとは思いません。良いかどうかはわからないけれど、少なくとも自然だと思います。そもそもマジシャンだって(テレビ番組やYoutubeで「種明かし」を見ることは無いにしろ)、専門書や専門DVDで「種明かし」を見てマジックを学んでいるわけですから、あんまり人のことを言えた立場ではないような気もします(もちろん、好奇心だけなのか、それともそれを演じる側に回ることで他の誰かを真剣に楽しませようと思っているのかという違いは存在するし、それは確かに大きな違いであるとも思います)。

そこでこれを機に、僕は「マジシャンでは無い方々」(つまりあなたのことです)に向けて、マジックの本当の魅力、ひいてはフィクションの持つ魅力について語ってみたいと思いました。あるいはそうすることによって、「種明かし問題」の根本的な解決の一助になるのではないかと思った次第です。

また、これは僕がマジックから学んだ大切な考え方のシェアであり、マジックへの一種の恩返しです。(仇になってないといいんだけど。いつも履歴書とかで「趣味から得たものは何ですか」と聞かれるたびに、マジックからはプレゼンテーション能力が云々とか書いてましたけど、そんな小手先のスキルよりも大切なものを僕は学んだんだ、ということを一度誰かに言いたかったというのもあります。)


②騙されたくない?

僕はこれまで趣味のマジックを様々な場所で披露する機会に恵まれてきました。家族・友人から始まって、バーやレストラン、路上、老人ホーム、結婚式、私的パーティなどです。

しかし時々マジックをやっていて悲しくなる時があります。

マジックをクイズのようなものだと思っている人。あるいはマジックを「暴く」ことによってマジシャンにマウントをとりたいと思っている人。そういう人にマジックを披露すると悲しい事態が起こることがあります。

ある時僕が、トランプの山から客に一枚引いてもらってそれを当てる、という手品をしようとした時、そのお客さんはトランプを引いた瞬間に「わたし種わかっちゃった。」と言いました。

でも僕はその時仕掛けの全く無いトランプを使っていたし、その時点では本当に何もしていなかったんです。そこまでして「騙されたくない」のかと思うと、僕には弁解のしようもないし、悲しくなります。嘘だと思われるかもしれませんが、これ一度ではありません。他のマジシャンの人も似たような経験をしたことがあると思います。


③暗黙のルール

ではマジックを鑑賞する際、「種を暴いてやろう!」という態度でいることは悪いことなのでしょうか?

結論からいうと、個人的には(これも個人的には)悪いことではないと思います。だって種バレバレのマジックを楽しめるわけないじゃないですか。そんなの、まともに音が出ない楽器の演奏を聴くのと同じです。当たり前ですがマジシャンの側に最低限の技術は要求されるべきです。そういう意味では観客がマジックの種について目を光らせておくことは必要なのです。

ただし前提としてマジックはフィクションです。フィクションは作り手側が用意した「ルール」に受け手側が同意して初めて成立します。マジックでその「ルール」を具体的に挙げるならば、例えばトランプなどの道具を急にマジシャンの手から取り上げて調べたり混ぜたりしない、ということになるでしょうか。ディズニーランドで、ミッキーの中身を暴こうとしてはいけない、のと同じです。それはしばしば〈暗黙のルール〉になるため、フィクションの成立には鑑賞者側にもその〈暗黙のルール〉を守るといった一種のマナーが必要とされるわけです。

少しマジシャン側からの裏話をすると、僕らは自らのパフォーマンスについて、そもそも観客にいかにそのルールを「快く守ってもらう」かというところから始まっていると考えています。僕はそういうマジシャンの(マジシャンに限らず全パフォーマーの)ある種の謙虚さ(あるいはプロ意識)みたいなものがとても好きです。でもやっぱりその「ルール」の成立には多かれ少なかれ観客の協力も必要である、と僕は思います。


④余談

(最後まで書いて読み返したところ、この章は余談な気がしたので読み飛ばしていただいても構いません。)

逆説的ですが、マジシャンは最も魔法の存在を信じていない人種だと思います。少なくとも「この世の物理法則と精神法則を超越した魔法」の存在はあまり信じていないと思います(まあそうは言うもののアンケートをとったわけではないから、僕の勝手な印象という範囲を出ないわけですが)。後述しますが「精神法則」と入っているのがミソです。

もちろんテレビなんかで紹介される「超能力」などの「タネ」がわかってしまうから、ということもあります。

しかしこの世には「まだ科学的には証明できないけれど確かに起こる現象」というものもあります。それはしばしば人間の精神と関係する場合が多いようです。例えば催眠術がその最たる例です。それは現代科学で説明しきれないけれど、確かに現象として起こるようです(もしよければ、ダレン・ブラウンというイギリスの催眠術師について調べてみてください。イギリス人ならみんな知っているほどの有名人で、彼は同時に超一流のマジシャンでもあります)。

そして我々マジシャンは、詳しくは言えませんが、その「まだ科学的には証明できないけれど確かに起こる現象」すらマジックの一部として用いることがあるため、比較的そういう物事に慣れています。

だから、マジシャンは何か不思議な現象が起こった時、それを「この世の物理法則と精神法則を超越した魔法」だとは即断せず、「うーんまあ、そういうことが起こる可能性もあるよな」くらいに思うことが多いような気がします。こういう態度って、物事に対する寛容性みたいなものが感じられて、これも僕はかなり好きです。

(ここまで大仰に「『まだ科学的には証明できないけれど確かに起こる現象』をマジックに取り入れてる」なんて言っちゃいましたけど、よくよく考えたら時々心理的な傾向みたいなものを取り入れているに過ぎない気もしてきました。ま、いいですね。ていうかここまでなら話してもセーフだと信じてるんですが。。。)


⑤〈魔法〉は存在する

④章で色々書いてしまいましたが、実は「この世の物理法則と精神法則を超越した魔法」が本当にこの世に存在するかどうかはあまり関係ありません。

そうでなくともちゃんと〈魔法〉は存在します。

マジックの名人の中には、マジシャン相手(つまりマジックの秘密について知識のある人間が観客の時)でさえ全く種がわからないマジックをする人もいますし、そういう人のマジックを見ると、魔法としか思えない…と感じることがあるのですが、僕が言いたいのはそれでもありません。(でもこういう領域に達している人の演技は機会があればぜひ見てほしいものです。)


マジックも、小説も、映画も、ディズニーランドも、フィクションであり、いわば虚構です。

でもそういう虚構にはそういう虚構にしか生み出せない感動があります。虚構から生み出されたその感動は同様に虚構でしょうか。違います。虚構から生まれた感動は決して虚構なんかじゃありません。しかもその感動は時に、人を前向きにし、明日を生きる活力を与え、一歩踏み出す勇気すら与えます。

これが僕が〈魔法〉と呼ぶものです。虚構にしか生み出せない感動と、そうした感動がもたらす様々な心の変化。これこそが〈魔法〉なのです。

これはマジックだから〈魔法〉という語彙が似合うけれど、どんなパフォーマンスやアートにももちろん言えることです。

僕は今までに何度かこうした〈魔法〉に助けられてきましたし、僕はこういう〈魔法〉を誰かにかけてあげられる人間になれたらいいなと思っています。(もちろんフィクション以外の方法でも人に感動を与えられる人間になりたいと思っています。もちろん。)


そして僕が一番言いたかった事は、

この〈魔法〉は〈暗黙のルール〉を守り、自らそのフィクションの世界を楽しもうとする人間にしか訪れない

という事です。

だからもしあなたが「騙されること」をカッコ悪いことだと思っていたら、ちょっと考え直してみませんか?

そしてもしみんなが「騙されること」を楽しめるようになれば、「種明かし」を取り巻く問題も何かしらいい方向に進むのではないか、と思うのです。だって「種明かし」って折角の「騙される」機会を潰してしまいかねないから。「種明かし」を見るのも僕は全然否定できないんだけど、「騙される」のも悪くないですよ。

僕はフィクション好きだなあ。




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