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W.A.モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K. 595

ピアノ:ベアトリス・ベリュ( Beatrice Berrut )
管弦楽:ベルリン室内管弦楽団
指揮:フィリップ・バッハ
収録:2016年9月2日 At ベルン カルチャー カジノ, スイス.


モーツァルト最期の年1791年に書かれた、哀しみの作品。

すでにモーツァルトの人気は低迷し、もう3年以上も彼が編み出した
「予約演奏会」も開くことができずにおりました。

この年の3月4日、宮廷料理人ヤーンの邸宅において開かれるコンサートに
出演依頼を受けた彼は、1788年に第1楽章を作りかけていたこの曲を完成させて演奏を行った由。
この演奏が、モーツァルトが演奏者としてステージに登場した最後です。

この曲をお聴き頂いてすぐに感じられると思いますが、今までのモーツアルトの音楽とは全く違い、終始、モーツアルトが自分自身に語りかけている
メロディに包まれています。

誰も他に、出演者がいないのです。いえ、お一人を除いて。

第1楽章から、まるで懐かしいものを愛おしんでいるかのように、彼の心に浮かぶ情景を思い浮かべながら、ピアノの鍵盤に指を落としています。
ほかの登場人物はまるで現れません。

第2楽章は、まるで天国の雲の上を 歩んでいるかのような静逸で、暖かさに満ちたメロディです。
第3楽章では彼は楽し気にスキップを踏んでいます。天国の花園の中を歩んでいるのでしょう。

この時、現世の煩わしい諸事は、心から消え失せ、音楽だけに魂を寄せているーそんな音楽です。

すでに、死期の近さを肌身に感じ取っていたモーツアルトには、帰りたくて
たまらなかった天国には帰れない、ということは判っていました。
彼は教会の異端の音楽を沢山書いてきたからです。

天国からのお迎えの声を長く待ち望みましたが、遂に来なかったのです。

第3楽章の終盤で、モーツアルトが「もう、いいよ。判っている。言ってみただけだよ。」と呟き、サヨナラの手を振る光景に、涙を浮かべてしまいます。誰に?天にまします、あのお方に、でしょう。

現代の音楽評では「この曲は、モーツァルトの死が、数年でもおそく訪れたならば、おそらくピアノ協奏曲のジャンルに新しい道を開いたであろうと言われている」らしいですね。

そんなことは、モーツアルトの視界にはまるでなく、演奏を終えたら苦しく辛いことの多かった現世(現実)に戻らなきゃ、と座り直している姿が浮かぶのです。

モーツアルトは、この時、神なき世界で生き続けるしかないことを、改めて心に刻んだのです。

そして、直ぐに、彼が一生のうち初めて呟いたであろう、真摯な「祈りの曲」が書かれます。


⇒ W.A.モーツアルト:アヴェ・ヴェルム・コルプス 二長調 K. 618 へ
  参ります。


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