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W. A. モーツアルト:ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488


ピアノ:内田光子
指揮 :ベルナルド・ハイティンク
アステルダムコンセルトヘボウ座管弦楽団   演奏時間:28分20秒
収録 :2018年,  Live Performance at Royal Concertgebouw.

「ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488は、モーツァルトが作曲したピアノ協奏曲で、古典派のピアノ協奏曲の最高峰に位置する作品の一つ」とWikipedeia には書かれております。
何故に最高峰なのかを書いていないのが、いつもの「たまに傷」ですが。

作品の完成日は1786年3月2日。
なんとオペラ「フィガロの結婚」(K.492)の完成が同年4月29日とされていますので、この時期、モーツアルトの頭の中には何個の作品が組立てられていたのでしょう。

しかもこの23番は、ピアノパート全体を最初から完全な形で書き記しており、細部に至るまで入念に仕上げられ、何の補充も必要としない完成度です。

他の殆どの協奏曲において、モーツァルトは自筆の総譜に「カデンツァ」を本来の場所に書き込んでいません。
(カデンツァとは:独奏協奏曲やオペラ等のアリアにて、独奏楽器や独唱者がオーケストラの伴奏を伴わずに自由に即興的な演奏・歌唱をする部分のことです)

が、この23番では第1楽章のカデンツァまでをも完全に記されています。
第2楽章にも第3楽章にもカデンツァの入る場所は指定されていない程に完成しています。
いつもは非常に好んで即興演奏の技法を差し挟むモーツアルトが、この作品ではその余地すらない程に完成しているのです。

それ故に”最高峰”なのでしょうか・・・

いいえ、完成度が高いこと即ち最高峰でないことは、当然、識者の知るところです。では、何故?

全曲を覆う哀愁を帯びたシチリアーノのメロディが故に、最高峰なのだと私は考えています。

この曲に至って初めてモーツアルトは幼年期に訪れた「イタリアの懐かしさ」を歌います。
懐かしさに溢れつつ、その記憶を断ち切ろうとする努力をすら感じてしまう、哀しみを湛えた、静かで、物思いに沈んだ、メランコリックな旋律に、この曲は覆われているのです。

では、何故に、さほどのメランコリックな心情に落ちたのでしょう。

ピアノ協奏曲 第23番は、1786年の8月には他の幾つかの作品と共に、フュルステンベルク侯という貴族に買い取られます。そうしてモーツァルトが得た収入額は 143.5フローリン であったと。

浅学な私にはこの金額が適正なのか、生活を改善するほどの価値があるのか判りません。
ですが、自分の作品の楽譜を売りに出すことが、どれほど辛いかは、痛いほどに想像できます。

後世に名を遺す大作「フィガロの結婚」を同時に書き進めながら、モーツアルトの毎日は、借金の申込みの手紙をあちこちに書くことに終始していたのです。「神」に祈ることも頼ることもなく。

だからこそ、この曲の完成度は、今までになく「徹底」したものであったのです。この曲を始めとして、売られようとしていた曲の楽譜は、隙間ない完成度に仕上げられたのです。

その行為は、”神童”・”天才”と謂われたモーツアルトのせめてもの尊厳であったに違いありません。

皮肉なことに「フィガロ」はウィーンでの初演より、プラハでの再演のほうが好評で、その際、歌劇「ドン・ジョバンニ」の作曲依頼まで受けることができたのです。

生きることは、長く苦しく、皮肉に満ちたものでありました。

モーツアルトの心中如何ばかりであったことでしょう。それ故にこの第23番は忘れられません。

そして、運命の 1787年5月 がやってくるのは、もう直ぐ目の前のことでありました。が、その前に、急いで「フィガロの結婚」へ参りましょう。


⇒ W. A. モーツアルト:歌劇「フィガロの結婚」
  続きます。

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