見ないで買った家の話
朝7時。寝ぼけ眼でスマホのアラームを消す。
ビザスクで見解を求め、ランサーズで組みし匠の技で、僕のスマホはアラームと同時にathomeの新着物件が表示される。
金町5分。借地&再建築不可20坪500万。
やっすう・・・と思ったところで意識が遠のき、気が付くと押印済の買付証明書を左手に最寄りのコンビニのFAXの前にいた。
スティーブ・ジョブスがいつも同じ服を着ている理由をご存じだろうか。着る洋服を決める回数を減らすことで、脳を有効活用するためだそうだ。
僕にとっての借地再建不はまさにそれ。土地として有効活用出来ないという制約が、接道という夢や建替えという希望をキレイに消し去り、想定賃料÷取得価格×100というシンプルな利回りを見極めることだけに集中させる。この安心感がスピーディな意思決定に拍車をかける。
これはいける。しかし、いざ買い付けるとなると、そんな確信があってもやはり逡巡してしまう。
迷わず出せよ 出せばわかるさ。
勢いで送信ボタンを押す。ノールック買い付けの瞬間である。
昼休みに電話があった。
「寺澤と申します。買い付けありがとうございました。」
「ご連絡ありがとうございます。買えますでしょうか?」
「お客様が1番手です。ただし購入は現地をご覧いただくのが条件です」
「わかりました。見学は週末になりますがよろしいですか?」
「承知しました」
不動産は買付が入った順に捌かれるのが原則だが、買付が殺到するような割安な物件の場合、優先交渉権の決め方は3つのパターンに分かれると思う。
1つ目は絶対的な買付順とするパターン。金額が安く、全員が同条件(契約不適合免責等)で、誰を買主に選んでもそこまで差がつかない場合。
2つ目は仲介業者が選択するパターン。これは融資利用が前提となる価格帯で、確実に買えそうな客を優先したい場合や、条件に対して譲歩を引き出せる余地が大きい客を優先したい場合。
3つ目は売主が選択するパターン。これは売主になにかこだわりがあることが多い。例えば、引き続き隣に住むので共同住宅より自宅として利用してほしい、など。
どのパターンで捌くか仲介が教えてくれる場合は幸運だが、教えてくれない場合は推測しながら選んでもらうための手立てを考える。
例えば、1つ目のパターンで2番手以下なら買い上がりしてみるとか、2つ目のパターンなら現金や契約不適合免責で買えることを強調するとか、3つ目のパターンなら売主へのラブレターを書いてみるとか。ちなみにどれも上手く行った試しはない。
週末。ただ立っているだけで汗が噴き出すような暑い日だった。約束の時間より早めに着いたので、駅の周りを散策する。
金町といえば、常磐線から見えるヨーカ堂屋上の自動車教習場の印象が強い。駅北口には当時からの古い公団住宅が聳え立ち、風俗店も点在したままで猥雑な空気が残っている。一方、再開発も盛んで、川沿いの工場跡地に大学が誘致され、大規模なマンションが立ち並ぶなど状況は一変しつつある。
待ち合わせ場所につくと、眼鏡をかけた小太りの男性が待っていた。白髪交じりの髪と丸みを帯びた顔。律儀にネクタイをして、しきりに額の汗を拭っている。
「寺澤でございます」
「本日はよろしくお願いいたします」
「こちらの物件です。土足でどうぞ」
「失礼します」
6畳の土間付き4LDK。広さもさることながら土間があるというのが良い。部屋の中は、まるで今まで人が生活していたかのように物が散らばり、その一つ一つに温もりが残っているような気がした。
「散らかっていてすみません」
「まるで今まで人がいたようですね」
「いや、空き家になったのは半年前です。先日入院先でお亡くなりになって、相続が終わったところです」
「きっと、すぐ帰れると思っていたんでしょうね」
階段の下に気になる扉があった。隙間がガムテープで何重にも目張りされたフラッシュドア。
「この扉開きますかね?」
「開けてみますか。」
寺澤さんが力いっぱい引いてみたが、目張りが強すぎてドアはびくともしない。
「やめておきましょう。階段下なので収納ですかね」
「たぶんそうでしょう。売主に確認しておきます」
建物の図面はないものの、このエリアにはない広さ、間取りで訴求力の高い物件だった。残念なのはお風呂がないこと。ユニット入れるか、シャワルーム置くか……いずれにしろ金がかかる。
「実は、購入したいという方がもう一人いらっしゃいます。そちらの方の内覧後、売主様に判断いただく予定です」
なるほど、今回はパターン3ね。
「わかりました。私の条件は変わりません。現金、満額、契約不適合免責でお願いします。契約・決済の日取りもお任せします。使途は貸家です。地主さんからのご要望があれば、なるべく沿うようにいたします。」
それから3週間音沙汰がなく、諦めかけたころに連絡があった。
「申し訳ございません。売主様との調整に手間取りまして。早速ですが契約の日取りは…」
結局、先方の買い付けは入らなかったそうだ。風呂なしということが大きなマイナスポイントだったらしい。
そうこうしているうちに契約日前日。契約書の雛形が届いた。書類には事前に目を通し、当日はシャンシャンと終わらせたい。
内容を確認すると、価格が450万円になっていた。
「価格間違っていますよ」
「売主を説得して1割引いておきました」
「はあ?」
「この家、借地の上に再建築できない物件ですよ…なんだか人を騙しているような気がしてしまって」
「僕は有り難いですが…せめて手数料満額払いますよ」
「お気持ちだけで結構です。ウチのようなとこでも最近コンプライアンスうるさくて」
勝手に値引いちゃうほうがコンプラ違反だろ、と思わず口走りそうになる。
その後、契約、決済、引渡しとすんなり終わり、ついに家は僕のものになった。
引渡しが散会した後、ガランとした家でひとりポツンと居ると、家を買ったんだという実感が湧いてくる。
そうだ。あの開かずの扉を開けてみるか。
残置物のハサミで目張りをバリバリ破っていく。扉は呆気なく開いた。
「あっ!!」
風呂だった。
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