響かない場所に打ち続けると人生失敗するかもしれない
主語がでかいので「かもしれない」とした。笑
たとえばweb広告は、ターゲティングをミスっていると1件単価が高くなりすぎたり全然問い合わせが来なかったりして、無駄打ちになってしまう。これは何度か試して精度を上げるのがいいというけど、実は違う手段のほうが効果的なこともある。
営業にしろ、広報のメディアアプローチにしろ、ハマるハマらないのタイミングもあるけれど、獲れないものに時間をかけるのはやっぱり無駄だと言わざるを得ない。目線を変えれば両想いになれるパートナーがすぐ近くにいるかもしれないから。
会社全体でも、たとえば「世の中で意味があるとされていること」を体現しようとしたとき、それが社内で共感を得て広げていけるのかどうか。難しかったときに、それは自分のアピール不足なのか、周囲の理解不足なのかを考えなくてはならない。その環境にそぐわないのかもしれないし、新しい概念を検討する余裕が無いのかもしれない。いずれにしろ、その会社には合っていない(だけ)という判断にならざるを得ない場面もある。
仕事以外にも、返事が来ないことや、誘っても応じてもらえないことを悩んでしまうときがある。でも、響かない場所に打ち続けるのが本当にしたいことなのかな?とも思ってしまう。こっちもだんだん誘う気がなくなって、会える人としか会わなくなっていく。笑
数打ちゃ当たるというけれど、そこに「的」は存在しているのか? 見失ってはいないだろうか?
これは人生にも大きく当てはまると思っている。必要以上に報われなさを感じなくたっていいはず。
総じて、固執せず方向転換できる勇気や思いきりの良さは必要だなと感じている。自分の手段を見直すのも大切だけど、打ってる場所が適切なのかも気にするようにしたい。必ずしも正しい場所にいつもいる訳じゃないことを忘れずにね。
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