ソーセージで美味しいのは皮だった
序 古代ギリシアの賢人も解けないアレとソーセージ
例えばあなたに恋人ができたとする。
キャッキャウフフの初デート。のどの渇きを潤すために入った喫茶店。
目の前に座ったあなたの恋人は、あなたの目を見据えてこういう。
「ねぇ、私のどこが好き?」
と。
歴史の中で、幾多の賢人がこの質問の前に散っていった。
「全部だよ」と言った古代ギリシアの賢人は「それって何も見てないのと一緒よね」とオリーブオイルをかけられ
「その海のように透明な心さ」と言った中世イタリアの賢人は「じゃあ私の外見は嫌いなの?」とエスプレッソをかけられ
「その可愛いお顔だよ」と言った近世フランスの賢人は「私の体目当てなのね!」とワイン瓶を叩きつけられ
「・・・・」と黙り込んでしまった現代日本の賢人は「なによ!すぐに出てこないなんて私のこと好きじゃないのと一緒よ!」と熱々の緑茶をかけられた。
これにすらすらと長い文章を即答で答えてしまうと、それはそれで危ない人と思われて恋人が逃げてしまうのも難点だ。
人はこの問題の前に無力なのである。泣きながらどれがいったい答えなのかを考えつつ、濡れた顔をタオルで拭いてきたのである。多分。
さて、私はソーセージが大好きだ。
(ビールの三種の神器。ソーセージ、芋、オニオンフライ)
ご飯にソーセージ、最高。
ビールにソーセージ、最高。
松屋のソーセージエッグ定食、最高。
と、ソーセージが好きすぎる人生を歩んでいる。
好きだからもしかしたら恋人がソーセージという時間軸が存在していたかもしれない。
その時間軸において、私がソーセージとデートに出かけたとする。
キャッキャウフフの初デート。立ち寄った喫茶店。
そして聞かれるのだ
「私のどこが好き?」
と。
僕は考えてしまう。僕の答えを聞けなかった彼女はそっと席を立ち、喫茶店から出て行く。その背中を見ながら僕は思うのだ。
「俺、ソーセージのどこが好きなんだろう・・・?」
というわけで調べてみました。
外面か中身か
ソーセージのどこが好きなのか。という点で考えると、検査項目は2つに絞られる。
外見か、中身か。
言わずもがなかもしれないが、ソーセージとはすなわち腸詰である。
ひき肉などで構成されたフィリング(中身)を、羊などの腸(外見)に詰めることによって、ソーセージは完成する。
というわけでさっそく試してみましょう。
皆大好きジョンソンヴィル。
そのうち一本を
こうやってナイフで
切れ目を入れてから…
剝く!!
ソーセージの皮、魚肉ソーセージのフィルムみたいに、切れ目さえ入れたらツルツル―と向けるのかなと思ったら、しっかりと固定されていて中々綺麗にむけなかった。「そういうこと想定して作ってないんだよ!」という製作者の叫びが聞こえてきそうだ。
けれどこの作業で欲しかったのはどちらかと言えば「ソーセージの皮」の部分なのだ。
なぜなら
ソーセージ界の神こと全知全能のジョンソンヴィルは皮なしのソーセージも発売しているのだ。うーん。さすが。
意外に皮が美味い…のか?
というわけでこれで、ソーセージの「中」と「外」が完成したので、さっそく焼いてみる。
せっかくなのでソーセージ祭りにしました。
焼きあがったソーセージたち。『約束されし祝福』とかそういうタイトルになりそうなビジュアルだ。お金がない時はこれ見るだけでビールとご飯が進みそう。
そして、その皮。圧倒的なビジュアルの寂しさよ…でもぱっと見ベーコンに見えないこともない。
何も考えずにビールとソーセージを楽しみたいところだけれど、自分の心をはっきりさせるために、まずは皮をむいたソーセージを食べてみた。
(こう見ると魚肉ソーセージっぽいな)
食べてみて一番最初に感じるのは「柔らかいな!」ということだった。通常のソーセージだと皮をプチンとかみ切るあの歯ごたえからスタートするのだけれど、今回はそれがなく、中身の柔らかさと最初からご対面となる。いきなり肉汁。いきなりクライマックス。そんな感じだ。
けれど、正直言ってなんだかそれが物足りない。ふわふわとした中身が、少し物足りなく感じてしまう。
あれ、俺はじゃあ皮の方が好きってことかい?ということで今度は皮だけを食べてみる。
(皮。)
えーーー!こっちの方が美味しい!
パリっとしてプチっとした皮の歯ごたえと、絶妙な塩加減。こっちの方がはっきり言って「ソーセージっぽさ」が高い。中身だけと比べると、ビールのおつまみになるのはこっちの方だと思う。
まさかと思って妻にも食べてもらったけれど「あれ、美味しい!」と好評だった。
当初僕は
「ソーセージは中身の方が上手いに決まってるでしょ、人もソーセージも中身が大事なのよ。」
と思っていた。
けれどふたを開けてみれば…
俺は…ソーセージの皮の方が…
…思いっきり外見が好きなのか…
ならば思いっきり外見を愛してみる
ソーセージ実は皮の方が美味しい説。
その結論を出すべきかどうか悩んでいた僕は、画像を見てあることに気づいた。
少し皮に、中身がついているのだ。
(よーく見るとちょっとついてますよね、中身)
これでは純粋な比較にならない!
よーしならば、もうこうするしかない!
ソーセージ用の羊の腸!
便利な世の中、そしてDIYブームの世の中のおかげで、ソーセージ用の羊の腸も、ネットであっさりと買えてしまった。4mの塩漬けされた腸が600円ほどで買えたのだけれど、手間とか諸々考えるとすごく安い気がする。
これをまずは塩抜きする。
この時は「水を吸ってぶわーってでかくなるのかな」と思ったのだけれど、一時間経った姿がこちら
全然変わってませんね。そりゃそうだ、乾物じゃないんだもの。
で、本当だったらこれに水を入れたりして膨らんだ姿(ソーセージっぽい姿)をお見せしたかったのだけれど、羊の腸、全然伸びない。世界中のソーセージ職人に感謝する日々とはいえ、ソーセージ作りがいかに大変な労力の末に出来上がってるのかを図らずも実感することになった。
(ただし羊の腸はめちゃめちゃ長いことだけはわかった。)
仕方がないのでさっそく本題に。
刻んだ羊の腸を
オリーブオイルを引いたフライパンで焼く!
この時、熱によるものなのか、腸がほんの少し全体的に膨らんで、はっきりと管状になった。あ、腸ってやっぱり腸なんだなーと思わされる瞬間。
焼き上がりがこちら
地味・・・!
これがどうなってどうなったらあんな迫力あるソーセージになるのかが全然わからない。腸詰ってひょっとしたら人知を超えたテクノロジーで作られてるのかもしれない。
けれど何はともあれ、これが100パーセント純粋な「ソーセージの皮」である。
いざ、実食!
・・・・。
・・・・・嫌いじゃないなぁこれ・・・・!
塩抜き後にも残るわずかな塩気が、クニュクニュとした羊の腸の食感と会っている。例えていうなら塩味のすごくおいしいガムを食べているような気分だ。ひょっとしたらもっと火を通しても良かったのかもしれないけれど、こっちの方が少しホルモンを食べてるような感じもしていい気もする。
これはあれだ。居酒屋とかで「おなかは膨れてるけどお酒が飲みたい、けどちょっとつまみも欲しい」時にこれがあればすごい助かる気がする。
エイヒレ的な役割を、羊の腸は果たせるのだ。
試しに七味マヨネーズを添えてみたらもう完璧に居酒屋の味。ビールを出さずにはいられない状態になった。
結論:ソーセージは才色兼備なのだった
「いやー、やっぱり腸だけたべたらさ、まずいんですよ、ソーセージはやっぱり中身が一番!っていうか、中身と外見が一緒になって初めてソーセージですよね!えへへ!」
という絵にかいたような「よい子の解答」を用意して羊の腸を食べたのだけれど、まさかのおいしさにびっくりしてしまった。
ソーセージのどこが好きなのか。
僕の結論としては「外見(皮)が好き」というまさかの結果になってしまったのだ。えー、びっくりだなこれ。
でもこれで例えば
「じゃあお前あれだな!今度から松屋のソーセージエッグ定食、ソーセージの皮とエッグ定食でもいいんだな!」
と言われたらそれにははっきりと「NO」と答えるだろう。
今回分かった。確かに僕はソーセージの皮が好きだ。
だけどソーセージで一番好きなのは皮だけど、二番目に好きなのは中身なのだから。
ソーセージは見た目50点、中身50点の100点満点ではなく、
見た目も良くて、中身も素敵。両方合わせて200点!わー素敵!!
そう言うことなんじゃないでしょうか。
そう言うことにしましょうよ。
おまけ
ちなみに、このあらかじめ皮なしで売られているソーセージは、「皮なしだとふわっふわで少し満足感が減る」ということも想定しているのか、皮をはがしたソーセージよりもやや歯ごたえがあり、やっぱ商品開発する人ってすごいなって思いました。妻はこれが一番好きだそうです。
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