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#7 髪を染めた日~世界で一つだけの花~_20230430

はじめに

今回、Noteさんのテーマで「髪を染めた日」と興味深いテーマがあったので書かせていあだきました。私が髪を本格的に染めたのは医大生の時でした。ブリーチを2回当てて、金髪に染めていましたね。髪を染めるにはいろいろ理由があるとは思うのですが、皆さんはかっこよくしたいとか何となくいいやんみたいな感じと思うのですが、私は人生でとっても楽しかった時期であり、文字通り花開いて浮かれていたと思います。今回、私の四半世紀を振り返ってみたいと思います。

小学生時代

私はプロフィールに書いているとおり、ASD、ADHDのグレーゾーンで育ち、HSPの特性を持って成長しました。幼稚園は一人でいることが多く会話をしない子だったみたいです。小学生になると、道をまっすぐ歩き、直角に曲がる子供だったのでみんな不思議に思っていました。私は自分のルールを持っていて、その道から外れてはいけないと強く思っていたことを覚えています。また授業をじーっと座って受けることができませんでした。低学年の時はモンシロチョウが好きだったので、教室の窓にモンシロチョウを見つけると、教室を飛び出してしまいよく怒られていました。高学年になると、ある程度がまんができるようになったのですが、ずっと貧乏ゆすりをして、苦しかったのを覚えています。もちろん授業に集中なんてできません。でも教科書は好きで、家に帰って教科書と学研の本をひたすら読んでいたこともあって、成績は良かったです。ただ、友達もほとんどおらず、同級生からはからかわれる対象でした。いじめのようなこともありました。恥ずかしくて悔しくて、つらい小学生生活でした。

中学生時代

小学生の時にそのような環境であったのを、親は心配してくれて、引っ越しをして中学生を迎えることになりました。だんだんと知恵がついてきて、こんな風にしたらからかわれないのではないか、いじめられないのではないかと工夫ができるようになりました。なるべく自分を見せないように心がけていました。より普通に見られるようにがんばっていたのを覚えています。そのかいがあって、今でいうスクールカーストの真ん中にいることができました。友人たちにも恵まれ、それなりに衝突はありましたが、からかわれる対象となることは避けることができました。授業はひたすら寝ることにしました。寝ている間は出ていきたい焦燥感にかられることもありません。そして勉強はできたので、同級生にも先生にも自分の立ち位置を確保できた時期でした。しかし、かなり無理はしていました。自分を見せることがとても怖く、トイレにも行けない状態でした。休み時間で、走って家に帰ってトイレをしていたのを覚えています。

高校生時代

高校生になると、状況がまた崩れます。進学校に入ってしまったのです。周りも勉強ができるため、勉強ができるという優位性は崩れました。自分の立ち位置が確保できないと、思春期のプライドと合わさって会話ができなくなりました。授業は寝て、休み時間は一人で過ごしました。友人はいませんでしたが、部活があったことが、学校にいく理由になりました。さみしくなった時は近所の公園にいって、鳩にパンをあげていました。だから今でも鳩は大好きです。そしていじめられる対象になりました。椅子には画鋲、机やノートは心もとないメッセージがたくさん入った落書きだらけ、まわりの嘲笑と進学校なので暴力的ではありませんでしたが、つらい高校生活でした。中学校の時の友人がよく遊んでくれたのが救いでした。

絶望の中で

学内偏差値は29~34、全体の偏差値でも40くらいでした。校内順位は下から3番目、あとの2人は不登校になっていたので実質の最下位でした。センター試験は900点中460点だったのを覚えています。誰も私の進路を心配はしてくれません。流れるままに浪人をしました。浪人をしても目標がなく、何をどうしたらいいのかわかりません。親は駿台予備校に行かせてくれましたが、ほとんど出席しませんでした。まともに授業を受けることができたらこんな苦労はしていません。でもその時はやる気がないからとか努力が足りないとか、がんばればできると思って自分を叱咤激励していました。しかし勉強は進まず、学力は上がりません。朝日が登るまで夜は起きていて、その後昼過ぎまで寝て、予備校にいってるふりをするといった毎日でした。自分は社会から必要とされていないという苦悩だけが毎日自分にのしかかってきました。人生で一番つらかった時期でした。

絶望の中の希望

20歳の時でしょうか。夢も希望もありません。どのように生きたらいいのか、どうしたら成長できるのかわからない時でした。父親が酔っ払って帰ってきて、しんぼう、将来どうすんだと聞いてきたのです。私は夢も希望もないことを伝えました。すると父親は「医者はいいぞ、おれは医者になりたいと思う。おれの代わりに夢を叶えてくれないか」って話してくれたのです。父親は柔道整復師であって、患者さんに接し、たくさんの人助けしてきたのですが、それでも医師への憧憬があったのでしょう。タイミングも良かったのか、すっと私の心に入ってきました。はじめて生きる理由ができたと思ったのです。

自分にあったやり方

2年間予備校にいっても勉強が進まないことがわかり、また予備校代ももったいなく東進ハイスクールのビデオ講義を中心に勉強することしました。それは自分の必要なところだけ授業を受けることができ、ビデオなんで自分のタイミングで観れて、中座することもできます。いつも開始10分ほどで焦燥感にかられるのですが、それを歩き回ったり、運動をしたり、寝ることで改善します。その後は30分ほど集中できるという自分のペースをつかむことができました。するとみるみる学力が伸びました。私は自学自習で伸びるタイプだったのです。思い返してみると小学校の時には、家で教科書と学研の科学のシリーズで勉強できたことを思い出しました。自分の特性は変わるものではないですね。

ASDの特徴の有利な点は毎日同じ時間に同じ行動ができます。きちんとカリキュラムを自分で立てると、ちゃくちゃくとこなすことができました。他人の作ったカリキュラムではびっくりするぐらい乗ることができません。自分をやり方を身に着けたことで、成績はちゃくちゃくと伸び、運も重なり、医学部に合格することができました。

髪を染めた日

大学生はある程度の自由があります。当時は出席も寛容であったので、自分のペースで大学に行くことができました。そして友人にも恵まれ、それまでつらかった人生を取り返す勢いで楽しんだのを覚えています。そこではじめにのところで述べた、ブリーチを数回いれて、金髪に染めたのです。東洋な私の顔にはど金髪は似合っていなかったと思います。それでも「どや、こんなに輝いているんだぜ」っというのは、自分にも他人にも社会にも示したかったのでしょう。私の内面からでるエネルギーが反映されていたのではないかと思います。咲き誇り、花開いたと感じていた時期でした。エネルギーは徐々に落ち着き、医学の専門の授業がはじまると茶色に、実習がはじめると黒になりました。人生は花開いている時から学ぶものは少なく、本当に人生の糧となるのは冬の時代でどう生きるかであるということを知ることになるのは10年以上先の話になります。

研究紹介

ここで研究を1つ紹介させてください。2012年に発表されたPfeifer CさんのPhysical attractiveness, employment, and earningsという論文です。これは身体的魅力が雇用および収入にどのように影響するかを調査する論文です。この研究では、ドイツの労働者を対象に、身体的魅力と雇用状況や収入の関係を分析しました。データは、ドイツの労働市場と経済生活に関する調査から取得され、身体的魅力は自己評価に基づいています。結果は以下の通りです。

○身体的魅力の自己評価が高い労働者は、雇用率が高く、より多くの収入を得ていました。
○さらに、自己評価の高い男性労働者においては、収入に対してより大きな影響を与えることが示されました。女性労働者においては、自己評価の影響は比較的小さかった。

この論文は、身体的魅力の自己評価が労働市場において重要な役割を果たしていることを示しており、特に男性労働者においては、身体的魅力の自己評価が収入に大きく影響していることが分かります。そして自己評価ということが面白いな思ったポイントです。要は思い込みですよね。男性は自分のことをかっこいいと思う人は、社会的に成功しやすいということなんですよね。自分のことをかっこいいと思えるように、日々努力が必要なのですね。それは普段何を考えていると、何を言っているか、どう行動しているか、お天道様と自分は見ているんだぞって、これはかっこいいことかと内省しながらがんばっていくのが大事と思います。

如来と菩薩

外見と内面のきれいさについて、如来と菩薩の話をさせてください。
如来と菩薩は、仏教の教えにおいて重要な役割を果たす存在です。如来は、悟りを開いて完全なる覚者となった者を指し、教えを説く役割を果たしています。一方、菩薩は、悟りを開くことができるものの、他の生き物を救済するために悟りを先延ばしにし、教えを実践し続ける存在です。

  • 如来の質素さ

如来は、質素で簡素な生活を営むことで知られています。釈迦は、王族として生まれましたが、後に世俗の生活を捨て、求道者として厳しい修行を行いました。最終的に悟りを開き、釈迦は、その後も質素な生活を続けました。彼は教えを説く際にも、華美な衣服や装飾品を身につけず、簡素な衣服で人々に説法しました。この質素さは、仏教の教えの一つである無常や無我を体現しているとされています。

  • 菩薩の派手さ

一方、菩薩は、華美な姿や装飾品を身にまとうことがしばしば描かれています。これは、菩薩が仏陀の教えを広め、人々を救済するために、さまざまな方法や姿で現れることを示しています。例えば、観世音菩薩は、慈悲深い姿で描かれることが多く、多くの手や目を持っていることがあります。これは、多くの人々を救うための力を象徴しています。また、文殊菩薩は、知恵の象徴として、華美な冠や装飾品を身にまとっていることがあります。

このように、如来と菩薩は、質素さと派手さという異なる側面を持ちながらも、仏教の教えを広めるために互いに補完し合っています。如来は、無我や無常を示す質素な姿で、人々に内面の変容を促します。一方、菩薩は、派手な姿で人々に教えに興味を持たせ、一方、菩薩は、派手な姿で人々に教えに興味を持たせ、慈悲や知恵などの仏教の教えを具現化し、人々を救済する役割を果たしています。この菩薩の派手さは、教えを伝えるための様々な方法や手段を使うことを示し、人々が抱える様々な問題や苦しみに対応できる柔軟性を象徴しています。

菩薩の派手さは、人々が仏教の教えに対して親しみを持ちやすくするための一つの手段でもあります。その美しい姿や豊かな装飾は、教えの普遍性や人々に対する慈悲を示しており、人々が仏教の教えにアクセスしやすくなることを助けています。

魂の成長にもそれぞれの段階があり、如来であることが必要となる時期、菩薩であることが必要となる時期があると思います。それぞれの段階で精一杯やりきるしかないですよね。最後に私の好きなマザーテレサさんの話で締めくくられせてください。

尊敬するマザーテレサさんのお話

マザーテレサさんのある授賞式のストーリーをご紹介します。ある時、マザーテレサさんは平和と愛の活動に対して高い評価を受け、国際的な授賞式に招待されました。多くの著名人や有力者が、その栄誉ある式典に出席していました。

出席者たちは、豪華なドレスやスーツを身にまとい、宝石で装飾されたアクセサリーを身に着けていました。しかし、マザーテレサさんはシンプルな白いサリーに青い縁取りをまとい、顔には謙虚な笑顔が浮かんでいました。

式典が始まると、マザーテレサさんは自然な輝きを放ち、他の出席者たちとは異なるオーラを醸し出していました。彼女のシンプルなサリーは、彼女のインパクトを強めるために、むしろ目立っていたのです。

マザーテレサさんは壇上に上がり、受賞の言葉を述べました。彼女の言葉は愛と思いやりに満ち、その場にいるすべての人々の心に響きました。彼女の輝きは、贅沢なドレスやアクセサリーを持つ他の出席者たちを圧倒し、彼女の内面の美しさと強さが際立ちました。

授賞式が終わった後、多くの人々はマザーテレサさんに感銘を受け、彼女のリーダーシップや思いやりに触発されました。彼女が身に着けていたシンプルなサリーは、彼女の人間性と献身を象徴するものとなり、その日の出来事をより印象深いものにしました。

このストーリーは、外見や物質的なものではなく、内面の美しさや献身が人々に輝きを与えることを示しています。マザーテレサさんは、シンプルなサリーをまとっていただけで、他の人々よりも輝いて見えることができました。

とても憧れます。今世で少しでも魂を成長させ、マザーテレサさんに近づきたいものです。何回生まれ変わったらなれるのか、そのために今日もがんばります。みなさん、それぞれ目指すところはあると思います。一緒にがんばっていきましょう。今日も読んでいただきありがとうございます。よい1日を祈っています。

Reference: Pfeifer C. Physical attractiveness, employment, and earnings. Applied Economics Letters, 19(6), 505-510. 2012.

🔽音声でも聴いてもらえる方はこちら
上記のお話に加え、慈悲の瞑想を放送しています。
音声の方が聴きやすい方もおられると思いますので良かったら利用ください。


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