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PMS/PMDD 心を壊した話

その時は突然やってきた。

大好きな料理をしている時。しかも、その中でも比較的楽な煮物を仕込みながら俯いた時だった。

あ、私、死にたい。しかも、今すぐ、死にたい。

まるで、マヨネーズをきらせていたから後で買いに行かなければ、と思うのと同じ程度の気付き方だった。
もしかして、私は今、とんでもない辛さを感じているのではないか。
そう思い至った瞬間、ぼろぼろぼろ、と、勢い良く涙が溢れた。

何がどう辛いのか、何で死にたいのか、頭が働かず言葉で充分に順序立てて説明する事が出来ない。とにかく「死にたい」が先頭に立ち、涙が止まらないので視界がぼやける。自分は生きていても何の価値もない。とにかく死にたい。今すぐ死にたい。

食欲などあるはずもなかった。作っている煮物などどうでも良かった。

何も考えてはいけない。とにかく楽器に触って無になろう。そう思って数時間楽器に触り続けた。ピアノの前に数時間座って弾き続けた。何も考えなくて済む。何も考えては駄目だ。

手と頭が疲れてきたので、楽器から離れた。
ずん、と絶望が身体全体に鈍くしかし素早く染み込み、私は自分に何が起こっているのか分からなくなった。

ああ、これは、辛いな。何でだろう。

何がどうなっているのだろう。それさえ分からないまま、涙は止まらない。私は何でこんなところにいる。生きていてはいけないんじゃなかったか。水道の蛇口が壊れたまま暴れるホースの先のようにばらばらばらばらと毀れ続ける。訳が分からない。


そして、その状態のせいで、私は一番たいせつなひとを傷付けた。


死にたい
死にたい
死のう
私はこの世にいてはいけない
死んでしまえば
死んでしまえば全てが丸く収まる
死んでしまえば死んで死ねしねシネし

それでも私は生き残ってしまった。何故あのまま死なせてくれなかった。恨みが募る。

勝手に涙がぼろぼろと出て来る。
寝る事が出来ない。
食べる事が出来ない。
とにかく死にたい。
自殺衝動。
身体は窶れても、眠気や食欲を感じないままに常にフラット。
寂しい。
寂しい。
寂しい。
辛い。

何かがおかしい。

カレンダーを確認すると、煮物事件の日は月経開始予定日の15日前だった。

これまで似たような状態には何度もなった。

何が起こっているのか自分で説明が出来ない。とにかく悲しくて寂しくて辛くて、ただただ自分の気持ちがおかしな方向へ暴走していく。世界が歪み色彩が分からない。食べるものの味がせず、眠りたいとも思えない。ただ、叫んで頭をコンクリートの壁に打ち付けて脳髄を滅茶苦茶に壊したくなる。身体の内側を全て掻き出して踏み躙ってやりたくなる。とにかく自分が嫌で嫌で仕方ない。しかし、そこに理由がどうしても見当たらないから、説明する事自体が難しい。
制御が出来ない精神の症状は、私を容易く打ちのめして振り回す。

「眠い」「お腹が空いた」にならず、「寝なければならない」「食べなければならない」で過ごす日々が続いていた。
いざ眠ろうとしても、痛みと身体的な衝撃のないバットで殴られたような目の覚め方をして、時計を見ると夜中。また眠ろうとしても同じ目の覚め方をして、時計を見ても1時間経っていないという事ばかりだった。

おかしい。何かが駄目になっている。

精神科・心療内科に放り込まれ、壁の一点を見詰めてもう10分過ぎたか、と思って時計を見ると3分程しか経っていない、と、訳の分からない待ち時間の後に診察を受ける。

「つらい」
「死にたい」

開口一番に出た言葉とともにまた涙が出る。自分でも自動的に出る涙が邪魔で仕方ない。
医師も「何年もそんなに、抱えているのであれば、それは……辛いですね」と言葉を詰まらせて言っていたものの、それは職業として発しただけの言葉なのだろうと思う。私は、職業や立場毎の事情や口上は確かに存在するし、そういうものはどうしようもないな、と、そんな状況の中でも考える。どうせそうは思っていないのだろう、それでも、そう考えてしまっていても、自分に起きた何かについて話をしなければこの人の仕事は務まらないし、私の異変もどうにかして貰えない。私は、性格が悪い。


私の心は、壊れていたらしい。

PMS/PMDDは心の持ちようで治るものではない。
心が壊れるのは心が弱いからではない。


原因となっているであろう、嫌になるほどこびりついている出来事を話しても何もすっきりする事はない。何年も何年も考えて考えてきたその出来事の内容については、カウンセリングをしても答えは私の中で分かり切っている。その答えを私一人の力ではどうにも出来ないから、メンタルを含めて強いと言われる私でも、こうやって心が壊れるまでになってしまった。いつから心が壊れていたのか。PMDDはいつからだったのか。恐らく今日昨日や今週先週という話ではない。落ち着いて考えると数カ月或いはもっともっと前からだ。

診察の後、抗不安薬、抗精神病薬、抗うつ薬、睡眠薬が処方された。今まで漢方薬は飲んできていたが、西洋薬で心の薬を飲んだ事がなく、ただただ強制的な効き目に目を白黒させてばかりだ。睡眠薬は全く効き目がないという訳でもないのだろうが、夜中に目が覚める事は変わりがない。
薬を飲んで、驚いた。「普通」に生きている人間というのは、こうもつまらない状態で生きているというのか。ずっとフラット。とにかくフラット。気持ちが悪い。音楽をやっている人間にとっては命取りにしかならない。
そして、抗不安薬で心が楽になるのはいいが、まるでプールから出て地上にあがった直後のようなあの身体の怠さについては慣れる時が来るのかと思う。3kgや4kgのダンベルでの筋トレを普段やれている状態だったのに、小さな手帳や本が重く感じてしまうような倦怠感には混乱した。
そういえば、自分にとってPMDDがなかった時期というのはどんなだったか。体調の良い時期であっても落ち込みが続く状態がずっとだったようなので、今となっては思い出す事が出来ない。

PMDDで何もかもが訳が分からない状態になっている時の事を、私は「サイケデリックに全てが歪んで叫び出したい状態」と表現した事がある。恐らく他の人にはそれなりの表現方法があるのではないかと思う。

実はこの文章自体、薬が効いているある意味「トンでいる」状態で書いている。恐らく効き目が弱まると支離滅裂な事になっているのだろうな、と思う。

私としての表現で申し訳ないが、胸の辺りが嫌な風に「ざわざわ」し始めたら危険なサインなのだと受け取れるようにしておかなくては、ぐいっと引き込まれてしまう。
HSPでもある私にとって、「休む」という事は容易ではない。どうにか相手に合わせようと気付かないうちに無理をして、些細な無理が積み重なって一気に崩れてしまう時が来てしまう。全てをシャットアウトする勇気、それを知らせる勇気、そして周囲も理解して貰えるように知らせる勇気を持たなければ、平穏という状態など手に入らない。
今は、出された薬で「板一枚下に苦しみ悲しみ痛み絶望があるのが分かるのに、見ようと覗こうとしても強制的に平穏に戻される感覚」の中、心が空っぽのように思えるのに突発的に滝のように溢れる涙に戸惑う状態や、ほーっとしてずっと一点を見詰めるような状態の中で流れる時間を過ごしている。どう考えても普通ではないのだろうなと他人事のように思う。
今はとにかく分からなくなってしまった休むという感覚が欲しい。今のこの自分の状態の中で、精神科・心療内科の診察を受けたのは本当にギリギリだったようだ。

私のこの状態を話した人には医師を含め「食べて、寝て」と言う。陳腐な台詞で非常に恐縮ではあるが、「食べたい、寝たい」があれば苦労しない。睡眠薬や食欲が増すという処方薬をもってしても未だにその欲求は私の手元には欠片さえない。

ここに書いた事は綺麗事でも何でもない。ただ私の身に起こった事起こっている事全てだ。
私は、辛いと感じる閾値が異常に高く、「辛い」と感じた時にはもう既に壊れているのだろうと思う。辛さを感じられる状態は人それぞれだとは思うが、皆様は少しでもおかしいと感じたら病院へ行くという事を最優先の選択肢に入れて欲しいと思う。例え自分の感覚が気持ち悪い程フラットになってしまって嫌で仕方なくとも、適正な薬は治療の手助けとなってくれる。
PMS/PMDDは男性は勿論女性でも理解する事が難しいと思う。寧ろ完璧に理解する事など出来ないと言ってしまいたい。自分でさえ自分自身の変化に戸惑って、その戸惑いがまた症状を悪化する悪循環になりやすいのだと思う。腹痛や腰痛なら「またこんな症状が出ているよ」とある種受け止めて痛み止めを飲めば事無きを得る場合もあるだろう。では、どうすれば収まるのか分からない、全てを破壊したいくらい気分が落ち込んでいる時に誰かとコミュニケーションをとらなければならない場合に、強制的にリラックスするにはどうすれば良いのか。あらゆる手段をとる。考えつく限りの全ての手を出し尽くす。感情は噴き出し、次の瞬間には落ち窪む。それでも、自分を乗りこなさなければいけない。ある種無茶だ。

ここまでになるまで病んだ心のせいで一番たいせつなひとに非道い事をしてしまった自分自身とこの病気が何より憎いが、早く平穏を取り戻せるように、薬の力を借りて快方に向かいたい。

2020.5.27. 薬の効き目で強制的にしゃんとさせられるのもどうかと思うが、ふらふらするのはどうやっても危ないなと思いながら

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