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転売屋高橋017_ヴィーガン松雪 Ⅲ

焼肉というのは不思議なもので、満腹の頃合いが近づいてくるにつれ、もっと肉を食べておけばよかったなどという後悔が首をもたげ始める。散々好き勝手食べたにも関わらず、『自分はまだ食べたいものをほとんど食べられていない』という気分に囚われるのである。これが欲望か。

「しかしまあ、彼にばかり辛辣なのも酷ってものかもしれないね。何らかの思想に傾倒する輩というのは得てしてあの程度のものだ。思想の背景とか、歴史的経緯とか、哲学上の意義とか、そういうものにまるきり無関心で、ただ人から聞いただけの内容で思想を解釈しようとする。だから、肝心の思想自体を常に裏切り続けることになる。エアプレー伊佐美の親戚みたいなものだ」
「誰?」
「何でもかんでも知ったかぶる人」
「はあ……」

とはいえ、飽き足らぬ欲望にも今回はまあ、理由がないでもない。今回の焼肉では注文を高橋に任せっきりで、私は、私の意志で肉を頼んでいない。『食べたいものをほとんど食べていない』というのは、ある意味当を得ているのだ。

「知ったかぶりはある意味で賢いけど、およそあらゆる意味で愚かだよ。狂信者の育て方を知っているかい?」
「知らない」

そんなおぞましいものの育て方なんて。

「他の思想に触れさせないことだよ。思想の背景を知る、歴史を知る、哲学を知るーーそれらはすべて他の思想に触れるってことなんだ」

高橋の口八丁なら、今回の焼肉にも大層な教訓が見出せそうである。たとえば、そうーー『君は既知の肉の味で満足する狭い認識を脱した代わりに自らの意志で注文する自由を失った。井の中の蛙が井の中を脱するとき、ちっぽけな蛙は手の届く範囲でのささやかな自由を失わなければならないんだよ』とか。

「ま、だからヴィーガン松雪は言うなればセルフ狂信者だね。誰に言われたわけでもないのに、情報を遮断してひとつの思想にこだわっている。その結果、ヴィーガンそれ自体にさえ届いちゃいない。まったく喜劇だねえ。狂信者の思想は個人の内面に限ってみればこの上なく強固だ。でも、他者に布教するって面ではこの上なく脆弱なんだよ。目的を履き違えているんだね。他者への敷衍が思想の本懐だろうに」

私は内心笑ってしまった。偽物が実力の面で本物に敵う事例はそうそうない。偽物と本物とを区別する最大の要素は地力の有無だ。私が戯れに理屈をこねてみたところで、本家本元高橋の屁理屈には敵いやしない。そもそも熟語のレベルが違う。『ふえん』って何だ。

「そうは言うけど、思想も信仰も自分のためにするものでしょ? その意味じゃ合ってるんじゃないの?」

店員が肉を運んできたので、会話はしばし中断された。高橋がどうだかは知らないが、私の胃袋事情ではこれが最後の肉になるだろう。ミノと……名も知らぬ赤い肉。高橋は黙ったままひょいひょい網に乗せていく。口を再び開いたのは焼き上がった頃だった。

「自分のため、ってのは正しいね。そうだよ。でも自分のためと他者を巻き込むってのは矛盾しない。むしろ思想ってのは自分のために他者を動かすエンジンなんだよ。良心への免罪符だ。だからこそ、狂信者のそれは思想としては失格ものなんだ。あれじゃそこらの馬鹿も騙せない」
「ふうん……」

私はミノを噛んだ。コリコリする。

「自分だけが救われたいなら、大人しく健康法に留めときゃいいのさ。それをあれこれ理屈をつけて思想に転換しようとするからボロが出る。おそろしく効率の悪い電力炉だよ、あれは。四方八方から熱になってエネルギーが逃げている。バッテリーの中身がスカスカなのも当然だね。世の中、そんなエセ思想家ばかりで参っちゃうよ。要するにあれさ、ひとりでダイエットは辛いから友達を誘うみたいな。まったく、連中は健康というものを舐めている」

何に憤慨しているのかいまいちわからない締め句である。それから私と高橋は黙々と肉を平らげ、デザートを注文した。私は抹茶サンデー、高橋はコーヒーゼリー。焼肉屋のデザートほど味に覚えがないものもない。二日経ったら忘れている。

「君も思想家っぽいのに絡まれたらよくよく見極めるといいよ。健康法に他者を巻き込みたいだけの甘ちゃんなのか、それとも本当にエゴだけで突っ走って他者を巻き込んでしまえる思想家なのか。体感では9割以上が甘ちゃんだけどね」
「見極めるコツみたいのはないの?」
「前者は哲学者吉村で、後者はリヴァイアサン相間だ」
「思想家はやばいってことね?」

高橋は笑い、伝票を席から抜き取ってレジに立った。私は追いかけつつ、両者の違いに妙に納得してしまった。
ヴィーガン松雪のチラシはなかなかに危険な香りを放っていたけれど、言ってしまえば危険な香りを全然隠せていないのだ。あれで集まってくる者の質など高が知れている。集めたところで意味がない。しかし、もし仮にあのチラシがリヴァイアサン相間の手によるものだったとすれば、おそらくはきわめて穏当かつ常識的な内容に留まっていたことだろう。能ある鷹は何とやらだ。目的を違えないだけ、思想家は厄介である。近寄らないという選択肢をそもそも獲物の脳裏に浮かばせない。
私は万札2枚で会計する高橋の背中を見て思った。この男もまた思想家なのだろうか。エゴのために私なり何なりを動かす気でいるのだろうか。高橋が自己をどのように評するのか、興味が湧いた。

          

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次回の更新予定は7月24日になります。
※諸事情につき、7月31日更新予定とします。


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