Inorganic Pigment

小説の投稿を行うアカウント。 『転売屋高橋』、『笑えよ、勘三郎』連載中。

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小説の投稿を行うアカウント。 『転売屋高橋』、『笑えよ、勘三郎』連載中。

マガジン

  • 転売屋(テンバイヤー)高橋

    私は折に触れ、転売屋(テンバイヤー)高橋との日々を思い出す。高橋はあの4年間で私に“人格のカタログ”を手渡した。彼自身がなかなか厄介な人格、少なくとも高橋以外では未だに見たことのない人格をしていたというのも経験としては貴重だったけれども、何より彼は大学に在籍するあらゆる人格の精通者だった。休学やら院進やらを繰り返してじつに14年も大学に居座り続けた彼は人々の実存から“その人固有の”特徴を奪い去ることにきわめて、きわめて長けていた。高橋はさながら人格の生物学者だった。卓抜した生物学者が対象の爪や顎先などの些細な形状から直ちに綱や目を推定するように、高橋はたとえ初対面の相手でもほんの数言会話すればその人の性格なり判断なり思想なりを見通すことができた。高橋は大学という彼の箱庭で、様々な人格のテンプレートを蒐集し、リスト化しては1人でニヤニヤ眺めていた。……

  • 【小説】定期投稿

    連載作品以外の投稿小説

  • 笑えよ、勘三郎

    国坂勘三郎は風流人を志していた。それはこの令和にこんな古風な名前を引っ提げて生きていることの宿命のようなものだと己で決めつけていた。本当のところを言えば、風流という文字面だけで憧れていた。 しかしもはや憧れても、志してもいない。勘三郎は大学の4年間でずいぶん大人になった。もちろん若者は放っておいても大人になる。けれども勘三郎はきわめて現代的な意味で大人になったのである。そこにはいくつか理由があった。1つには勘三郎が元々“風流人”なんて胡乱な存在を目指す愚か者だったこと。1つにはよりにもよってこの現代に本物の“風流人”に出会ってしまったこと。1つには現代が決して“風流人”を許さぬ時代だと知ったこと。 勘三郎は大学で向かうべき道を失った。そうしてきわめて現代的な生、失意の生に足を踏み入れたのである。挫折に向かう4年間。しかし勘三郎はこの4年間がそう嫌いではなかった。……

最近の記事

転売屋高橋031_太公望山崎 Ⅱ

高橋は少し黙って、雛皮をもちゃもちゃ喰んだ。こういう時は大抵、自分の発言を反芻して訂正するポイントを探している。高橋お得意の演説テクニックである。とりあえずインパクトのある言葉で気を引いて、一拍置いてからより適切な語彙を提示するわけだ。聞き手を熱中させつつも、思慮深いところをアピールできる。もしかして政治家に向いているのかもしれないが、こんなのが政治家になっても困るから、ぜひ今後とも人生を無為に過ごしてほしい。 案の定、高橋は発言を訂正するところから切り出した。なまじ一緒に飲

    • 転売屋高橋030_太公望山崎 I

      「現代は行動する者が成功する時代だ。賢い者よりも、才能がある者よりも、努力する者よりも、手当たり次第に行動する者が成功する。どうしてだと思う?」 居酒屋の喧騒に当てられたのか、また高橋の悪癖が顔を出したようである。“現代”なんて大仰なものを主語に据えて、大上段から演説をかまそうとしている。とはいえ、今日のところは私も少々乗り気である。以前は信号待ちの静寂下で語り始めたから殺意が湧いたが、大衆居酒屋のような与太話に相応しい場所でやる分には文句はない。 私は串盛りからハツを引き

      • 転売屋高橋029_マルチリンガル花咲 Ⅲ

        定食を食べ終わり、私と高橋はしばし会話を中断した。定食屋は食後の雰囲気が良い。食事中は品数の多さに箸を忙しなく動かし、食後には満足感とともに身体を休める。この緩急が定食屋の魅力だと私は思う。もっとも、連れが風情を解する場合に限るのだが。 「マルチリンガル花咲の言い分は紛れもないハッタリだ。彼女は日本語、英語しか扱えない。けれど、フランス語やドイツ語、ロシア語の初級会話を身につけるよりはよっぽど高度なことをしている。これは大げさに言えば価値観の破壊だ。覚悟を伴った逆張りだ。彼

        • 転売屋高橋028_マルチリンガル花咲 Ⅱ

          「マルチリンガル花咲は現行の語学学習に極めて懐疑的な女だった。日本じゃよく“使えない英語教育”が云々と批判されているけどね、彼女はなぜ日本の英語教育が使えないのかという問題に真正面から向き合った。そしてなかなかユニークな結論を出した。この手の散々言い古された話題に、少しでも新鮮味のある切り口を提示できるってのは馬鹿にできない特技だね」 結局、高橋はカニのことを教えてくれなかった。私は事前のくだりからあたりをつけ、スマホで『カニ 収斂進化』と検索した。案の定ヒットする。便利な

        転売屋高橋031_太公望山崎 Ⅱ

        マガジン

        • 転売屋(テンバイヤー)高橋
          31本
        • 【小説】定期投稿
          0本
        • 笑えよ、勘三郎
          7本

        記事

          転売屋高橋027_マルチリンガル花咲 I

          我が大学に第二外国語の制度はない。講義自体はあるが、受講を強制されるような仕組みはなく、大抵の学生は共通科目の英語を表面上だけ履修して卒業していく。そんな情けない現実を、入学してすぐに高橋から聞かされた私は、何となくがっかりした。私は高校生の頃から英語のシステマチックな退屈さにうんざりしていて、ドイツ語やフランス語のような高等教育以後の言語学習に憧れていたのである。私個人が学ぶのは当然としても、それが大学においてさえ物好きの道楽扱いという事実は、まあ残念だった。 「外国語を

          転売屋高橋027_マルチリンガル花咲 I

          転売屋高橋026_タイムリーパー巨勢 Ⅲ

          「まあ、与太話というほど与太話でもないんだけどね」 水を3杯飲み、落ち着いた高橋はいつもの小癪な笑みを浮かべて言った。 「結構、深刻な論点だよこれは」 「どこがよ」 「だって、他人の内心なんて分かりようがないじゃないか。タイムリーパー巨勢がタイムリープしていないことを確かめるには、彼の内心を覗くしかない。でもそんな手段はないんだ。彼はタイムリープしているかもしれないし、していないかもしれない。我々にはその程度のことしか言えないよ」 「屁理屈じゃない」 「そうかい?」 「タ

          転売屋高橋026_タイムリーパー巨勢 Ⅲ

          転売屋高橋025_タイムリーパー巨勢 Ⅱ

          運ばれてきた時は少ないと思ったのだが、麺のコシが強いので十分満足できるだけの量はあった。私が残すところ二口程度になっている一方で、高橋はブヨブヨに膨れ上がった天かすに苦闘していた。七味を振りかけてなんとか美味しく食べようとしているところに健気さを感じなくもない。ひとえに欲張った高橋が悪いのだが。 「タイムリーパー巨勢の説教は理不尽だ。聞いた覚えのないルールが後から後から飛び出してくる。しかもそれは大抵守っても守らなくてもいい、ローカルルールに過ぎないことが多い。彼に反論し

          転売屋高橋025_タイムリーパー巨勢 Ⅱ

          転売屋高橋024_タイムリーパー巨勢 Ⅰ

          世に生きる以上、理不尽というのは往々にして身に降りかかる。私はその日の講義でちょっとした理不尽を目の当たりにした。発表者が教授に因縁めいたケチをつけられてくどくど叱責されたのである。被害者には気の毒だが、重苦しい空気に目をつむれば実にラクな90分だった。 「ああ、そりゃタイムリーパー巨勢だ」 涼しいものを食べたくなったので夕食はうどんである。私と高橋は大学から2駅ほど向こうのうどん屋で、ぼんやり料理の到着を待っていた。私は肉うどん、高橋は月見たぬき。なかなか古風な装いの

          転売屋高橋024_タイムリーパー巨勢 Ⅰ

          転売屋高橋023_演技派俳優小山 Ⅲ

          高橋はラッシーをたちまち飲み干し、2杯目を注文した。今度はキャラメルラッシー。私もプレーンかキャラメルかで迷った。迷う必要なく、両方とも飲めるというのは羨ましい。 「現代とは形骸化の時代だ。しかし、形骸化とはどうして起こるのだろうね?」 「はいはい」 「形ばかりで中身が伴わない時代。誰もが遺産を使い潰している時代。つまりは、専門家が圧倒的少数の時代なんだよ。誰も真っ当な知識を持っていないから、形式だけが先行する」 いつもながら『時代』という言葉は大仰にすぎると思わない

          転売屋高橋023_演技派俳優小山 Ⅲ

          笑えよ、勘三郎007_4年夏 Ⅲ

          柊はすっかり赤らんだ顔を枕に埋めた。そのまま喋るので声がこもる。 「ああ、いい気分だねえ。ハハ、ところで勘三郎。同僚が間抜けってのはいったいどういう了見だい?」 足をバタバタさせて柊は聞く。勘三郎は顔をしかめて枕の洗濯を予定に組み込んだ。 「時代を見極められないのは間抜けだろ。この国で教員をやろうってのがそもそも大間抜けさ」 「ふふん、嘘だね。風流人なんてけったいなものを目指す男がそれを言ったらおしまいだもの。もっと具体的な理由があるんだろ?」 勘三郎は目を背けた。枕

          笑えよ、勘三郎007_4年夏 Ⅲ

          転売屋高橋022_演技派俳優小山 Ⅱ

          「で、何を言いかけたの?」 ナンが残り二口程度になったタイミングで私は声をかけた。半分も高橋にくれてやったというのに、満腹感で苦しい。 「……演技派俳優って意味の分からない言葉だなと思ってさ」 「自分で名付けたんじゃないの」 「別に僕の造語じゃないし」 高橋の返しもまた鈍い。努めて平静を装っている高橋も、その実満腹感に苛まれていると見えた。注文したチーズナンは生地全体に練り込まれているのに加え、耳のところにもたっぷりのチーズが包まれていた。純粋なカロリーの暴力には、

          転売屋高橋022_演技派俳優小山 Ⅱ

          転売屋高橋021_演技派俳優小山 Ⅰ

          学食カレーの反動で無性に本格的なカレーが食べたくなった私と高橋は、隣町のインドカレー店を訪れた。スパイスとナンの香りが立ち込める店内は実に食欲を刺激する。私は通常のナンにチキンカレーを、高橋はチーズナンにグリーンカレーを注文した。私もチーズナンが食べたかったが、完食する自信がなかった。少しだけ分けてもらって満足しよう。 「ところで君、演劇に興味はあるかい?」 「んん?」 「実はこの間、学内の演劇サークルが近場のスタジオで新作演劇を上演してね。今日はその話でもしようかなと」

          転売屋高橋021_演技派俳優小山 Ⅰ

          転売屋高橋020_クイズ王伊藤 Ⅲ

          私はペットボトルの緑茶を飲んで、一息ついた。甘い飲料も好きだが、食後のお茶もまた良い。昔よりも無糖飲料が好ましく感じられるのは大人になったからなのかどうか。私はどうも「大人になる」という言葉が好きではない。非常に曖昧然としている。人は何かと理由をつけて子どもから大人への変化を語りたがるけれど、いかんせん結論を先取りした話のように感じられてならない。実際に歳をとっている以上、なんでもそこに結びつけることだけは可能なのだから。 「現代にクイズ王が溢れかえっているのは、最初に言っ

          転売屋高橋020_クイズ王伊藤 Ⅲ

          転売屋高橋019_クイズ王伊藤 Ⅱ

          「大勢いるんじゃあ、天才も何もないでしょうに」 「天才にだって色々あるんだよ。結局は定義次第なんだ。リヴァイアサン相間のときにもあったろう? 絶対と相対の差だよ。彼女みたいのが絶対的天才なら、彼らは相対的天才なんだ。時代の要請に従って素直に能力を伸ばしてきた終着点。彼らは時代に恵まれ、時代に望まれた天才ってわけさ」 「つまり、どういうこと?」 「最初に言った通りだよ。彼らは現代の知能の最高峰ーー言い換えるなら現代教育の限界値なんだ」 「クイズ王が?」 「うん」 「現代教育の限

          転売屋高橋019_クイズ王伊藤 Ⅱ

          転売屋高橋018_クイズ王伊藤 Ⅰ

          私と高橋とはよく連れ立って食事をする。しかし、学生食堂を利用することは滅多にない。というのも我らが学食は、学食としての良さに乏しく、学食としての悪さにばかり富んでいるからである。一例を挙げるのなら、カレーが610円、ラーメンは570円。大して安くもないくせに、美味くもない。学食に行くよりはコンビニで適当なものを買って食べた方が財布的にも味覚的にも嬉しいのである。だというのに何故かやたらと人が多い。どうしてこの学食が混むのだかさっぱり分からないが、混むものは混む。まるでいいとこ

          転売屋高橋018_クイズ王伊藤 Ⅰ

          笑えよ、勘三郎006_4年夏 Ⅱ

          「柊、散々言われ続けた言葉を返してやる。笑えよ。まずはそこからだろ?」 勘三郎は錫製のぐい呑みに柊持参の酒を注いで渡してやった。いつだったか柊が北陸のお土産と称して自分用に置いていったものである。勘三郎の部屋にはお土産という名目の柊私物が多数しまわれている。大抵は飲酒グッズだが。 「はん、言うようになったもんだ。もうすっかり吹っ切れちまったってわけかい、ええ、勘三郎?」 「別に吹っ切れちゃいない。絶望しかないさ。おっしゃる通り、教員なんてこの国でやる仕事じゃないよ。給料だ

          笑えよ、勘三郎006_4年夏 Ⅱ