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○拷問投票10【第一章 〜毒蛇の契約〜】

 その一方で、拷問投票法のもうひとつの側面である『投票』の部分においては、最高裁がすでに合憲であると評価している。
 第五条に規定されている投票の中身は、具体的には次のとおりだ。
 まずは、死刑判決を言い渡した合議体を構成していた裁判官及び裁判員に対して、一票ずつの投票権が与えられる。実務上は原則的合議体しか採用されていないので、裁判官三人と裁判員六人の計九人が投票権を与えられることになる。
 それに加えて、別途実施される国民による投票において有効投票の過半数が積極的刑罰措置に賛成した場合は、この賛成票が一票として加えられることになる。
 このとき、その賛成票は国会議員による投票において有効投票の過半数の承認がなければ無効となる。
 その結果としての十票のうち六票以上が積極的刑罰措置に賛成したとき、これの実施が決定されることになる。ただし、第五条第四項のただし書きに該当するときは、その限りではない。
 以上のような仕組みが、この法律における投票の全体像である。
 ちょうど三年前、第一審で死刑となって投票の対象となったものの運よく拷問を回避することができた被告人が、最高裁に上告する際に、拷問投票の制度は違憲であり、この違憲の制度のもとに言い渡された死刑判決は是認されない、と主張した。
 この裁判では、拷問投票制度の投票の部分においての違憲性判断で、主に三つの争点が立ち上がった。
 ひとつめは、憲法三二条、三七条第一項に規定する「裁判所による裁判」は確保されているのか、である。これについては、裁判員制度と同様に、憲法は裁判所が裁判官のみによって構成されることを要求していないため、国民による投票という制度が司法判断に介在してもなお裁判所による裁判と言いうるとした。
 ふたつめは、憲法七六条第三項に規定する「司法権の独立」が侵されていないのか、である。
 この争点にはさらにふたつの意味があり、国民による投票が司法判断の一要素として加わっていることの是非と、その国民による投票の結果を立法府である国会が承認するという制度の是非である。
 前者については、裁判員制度と同様に、国民による司法参加は憲法上禁止されているわけではなく、そのうえ、拷問投票法第五条第四項のただし書きにあるように裁判官全員の反対があったときは積極的刑罰措置は実施されないとする裁判官の職権行使の独立への配慮もなされており、問題はないとした。
 後者については、ただ国民による投票の結果について国民の代表機関としての国会が承認するかどうかの投票を行うことを定めたに過ぎず、立法府が積極的に司法判断に介入しているわけではないため、司法権に対して立法権が干渉しているという考えは杞憂に過ぎないとした。
 最後のひとつは、国民による投票の結果も踏まえて実施の有無を決定する不確実な刑罰は、憲法三一条に規定する「罪刑法定主義」の原則に反してはいないか、である。これについては、国民による投票の結果は一票としての権限しかなく、国民による投票を介したからといって刑罰の発動条件が不当に曖昧になるとは言えない。また、積極的刑罰措置は死刑の付加刑として明確に限定されており、死刑となる犯罪に対する予測可能性及び明確性は十分に確保されているのであるから、不意打ちかつ不確実な刑罰とはならないとして、この点に対する懸念も払拭している。
 以上の三つのポイントから、拷問投票法における投票の制度は合憲であると最高裁が判断した結果、学説においても投票に関しては憲法上の問題はすでに議論されていないという。
 違憲かどうかについての議論は主に積極的刑罰措置に関して巻き起こっているようである。この点については、実際に積極的刑罰措置が実施されない限り、最高裁はその領域には踏み込まないだろうという共通理解が法学者の間ではあるらしい。
 この『実務のための刑罰投票法』で拷問投票制度について勉強しているうちに、佐藤は、率直に思った。
 この制度、なにか裏がありそうな気がする。この法律を成立させた国会は、本当に、この制度を機能させようとしていたのだろうか?
 陰謀論は好きではないが、そのような疑いを感じる。
 補足情報として『実務のための刑罰投票法』に記載されていたデータによると、いままで実施された六回の投票において、裁判官十八人のうち十七人は積極的刑罰措置に反対票を投じたという。ひとり、例外が紛れているだけだ。
 単に国民に美味しそうな餌を見せただけで、その美味しそうな餌を実際に与えることまでを想定した制度ではないのかもしれない。佐藤にとっては、そのような疑いを向けることに抵抗感がなかった。