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◯拷問投票276【第四章 〜反対と賛成〜】

 また玄関まで戻ってきて、佐藤は、ふたたび固まった。なにがあったのか、おぼろげながら、わかる。でも、どこにいるかはわからない。警察に相談したところで、動いてくれるとは思えない。理子はほとんど外出しないから、どこに出かけたのか、見当もつかない。というか、見当などつくはずもないのだ。
 いったい、どうすれば……。
 絶望に染まって無気力になりそうな身体をなんとか支えながら、考えて、考えて、その甲斐あって、いまやるべきことを見つけた。
 佐藤は、その場で、スマホを取り出した。万一のためにインストールしておいたGPSアプリを開く。理子の位置情報を検索すると、間を置かず、ディスプレイの地図上にピンが表示された。
 理子はそこにいる。
 思っていたほど遠くはない。ここからおよそ五百メートルほど離れたところにあるオフィスビル前の、幅の狭い歩道上だ。
 ひとまず、理子の位置情報がわかった。
 佐藤の胸に安心感が込みあげてくるということはなかった。じっと見つめても、理子の居場所を示すピンは動いていない。微動だにしていない、といって適切だ。現在の技術では十センチの動きさえも捉えることができる。理子が少しでも動けば、ピンはかすかに揺れるはずだった。
 佐藤の嫌な想像は、ひとつひとつの状況証拠と常識的な思考能力によって固められながら、着実に事実として立証されていく。これが裁判だったら、真実をその目で見ることはできない。
 この目で確認できるなら、じっとしている場合ではなかった。
 佐藤は、動かないピンの場所を頭に叩き込んで、すぐさま駆け出した。勢いのままにエレベーターのボタンを押したが、数秒でさえ待てなかった。舌打ちをして、ぐるっと身体を回す。さっき駆け上がってきた階段を、今度は駆け下りていく。前髪から絞り出されるように汗が落ちた。
 必死だった。
 かすかな可能性を信じている。
 佐藤は、アパートを出てからも、夜道を駆けていった。大通りから離れているので、あまり人とはすれ違わない。障害物のように車道で談笑している若者たちもいたが、荒い息遣いで振りはらっった。背後から舌打ちが聞こえた。どう思われようとよかった。体内では暖房が作動し、口から出てくる空気は生ぬるい。
 角を曲がり、もうひとつ曲がり、その先に――。
 佐藤は、目的地にて、足を止めた。もう誰もいないだろう暗いオフィスビルの前には二車線の車道があり、車道とビルで狭い歩道を挟み込んでいる。スポットライトのように街灯の白い光が落ちている。それに照らされて、すらっとした脚があった。闇へと消えている上半身は、同じスピードと同じ車間距離でやってくる車のヘッドライトが、かわるがわる照らしていた。
 そこにいるのは理子だけど、右腕がない。
 いつも身に着けていた十字架のネックレスもない。
 右の眼球は、引っ張り出されている。動かなくなった理子の胸に落ちている眼球は、眼窩から伸びている赤と青のコードでつながっていた。