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○拷問投票8【第一章 〜毒蛇の契約〜】

 バイト終わり、近場にあった都内の書店に立ち寄った。
 電子書籍の流行によって激減してきた書店だが、いまのところ、完全に消え去るということはないようだ。今後も、紙媒体への需要が完全に尽きることは考えにくい。佐藤も、どちらかといえば書籍はアナログ派である。
 佐藤が真っ先に向かったのは、法律関連の棚だ。法学部を出ていることもあり、詳しくはないが、イメージはある。
 平積みされ、いかにも店側が売りたがっているのは、『人型ロボットと法律』という分厚い一般書だった。この分野は加速度的に研究が進んでいるらしい。二年前に起こった人型ロボットが誤って人を殺した事件においては、製造元の責任は追及されなかったが、そのロボットを現に管理していた男に業務上過失致死罪が成立して拘禁刑が確定した。あの一件をきっかけに、人型ロボットの刑法分野での取り扱いについて学者の間で議論が巻き起こり、法務省内部にも審議会が設置された。それらの議論が成熟すれば、人型ロボットの犯罪に関する法律とでも、特別刑法として立法化されるだろう。それまでは現在の刑法典の解釈の問題になる。
 おそらく、そう遠くないうちに、人型ロボットを用いた殺人事件も発生するだろう。そのとき、人型ロボットを用いて人を殺した人物に殺人罪の正犯が成立するのか、あるいは殺人教唆罪に類するものが成立するのか、かりに殺人罪が成立するとしたらその要件はどのようなものか、たしかに重要な話題だ。
 じっくりと『人型ロボットと法律』の表紙を眺めたあと、佐藤は、その隣に平積みされている書物に目を向けた。
 タイトルは、『最新の刑事裁判』である。帯には、『超長期的無責任について考える』とあった。
 それは最初にドイツで導入された法律概念であり、五年ほど前に日本でも導入された。もちろん、佐藤には、専門的なことはわからない。ざっくりと言えば、最新のAI技術を用いることで犯罪の原因を細かく分析し、その犯罪が本当に本人の責めに帰すべきなのかについて従来より細かく考慮するというものだ。刑法は犯罪を予防するために存在しているという立場に立つならば、本人の責任として非難することができない行為を処罰することに意味はないので、そのような行為は罰しないとするものである。ただし、いまのところ、その概念を用いて刑を免除したり減軽した例はない。
 ……寄り道はそれくらいにして、佐藤は、ようやく目的の書物を見つけようと目の前の棚を見渡した。すぐに見つかった。
 タイトルは、『実務のための刑罰投票法』である。まさか、この法律を勉強する機会がやってくるとは思っていなかった。
 まだ子供だったとき、この法律が国会を通過したときは、治安のいい日本も終わりを迎えたのだな、と両親が嘆いていたのを憶えている。佐藤の両親は日本の政治に対しては批判しかしないので、その嘆きも政府批判の一種なのだろう。佐藤にとっては、どうでもいいことだった。拷問投票法についても意見はない。ただの感想として、悪趣味だな、と感じる程度であった。
 しかし、いまとなっては、もうちょっと真面目に考えておく必要がある。気を引き締めようとして息を吸ったが、その途端、力が抜けた。
 佐藤は、溜め息をひとつ、わざとらしく大きく吐いた。なんで自分なのかね、と思いながら、『実務のための刑罰投票法』を手に取る。まさか、自分なんかが、凶悪犯罪を扱う裁判の裁判員になってしまうなんて。
 簡単に辞退することもできるが、一年前、裁判員の辞退率が大きく上昇したことを深刻に受けとめた裁判所が裁判員の処遇を大幅に改善したので、辞退したくはない。要は金に釣られたわけであった。