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◯拷問投票122【第二章 〜重罪と極刑〜】

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「ようやく審理が終わりました。あとは、裁判官三人と裁判員たち六人で構成された合議体によって、事実認定、法の適用、量刑について評議されることになります。結論を待つことしか、ありませんが……」
 長瀬は、「しかし」と、言葉を続けた。
「やれることはなにもない、と諦めるわけにはいきません。拷問投票を見据えて、国民への働きかけを続けましょう」
「もちろん、ですとも」
 谷川が、前髪を気にしつつも、ジョークめいた口調で言った。
「被害者文書の成功もあるわけだから、こっちのモチベーションは高いのだよ」
 被害者団体のホームページ上に公開された被害者文書は、公開直後から、ワイドショーで取り上げられたり、SNS上で拡散したりした。国民を味方につけるという狙い通りの成果を挙げている。
 この文書は、長瀬たちの活動に賛同していただいた著名な小説家に依頼し、特別に書いてもらったものだ。手短に心を揺らすような文章を、とのオーダーに対して、ほとんど理想的な文章を用意してくれた。
「国民も、僕たちのほうへ傾いてきているわけだから、この流れを持続させることに尽力しなければ、ね」
「先生がたの感覚では、死刑になると思いますか?」
 高橋実が、不意に、尋ねた。
 長瀬と谷川は、数秒間、お互いの顔を見つめあった。心に浮かべたものが一致していることを確認し、うなずきあう。代表して、長瀬が口を開いた。
「確実なことは言えませんが、死刑になる可能性は高いです。今回の審理の内容を聞いた限りでは、事実関係についての争いばかりで、量刑に関する立証活動はほとんどない。こういう弁護側の態度は印象がよくないですから、検察側の主張する事実関係が認められるのならば、必然的に死刑になるのではないか、という感触です」
「それなら、期待できます。よかった」
 高橋実は、噛みしめるように、ゆっくりと一度、うなずいた。それから、右手に握っていた湯呑を持ち上げ、ごくりと麦茶を飲んだ。
 ここは、長瀬の自宅リビング。すっかり、戦略を話し合うための会議室としてのイメージが固まった。このリビングに盗聴器が仕掛けられていないことは確認済みである。同じ意志を持つメンバーが集まるための安全地帯だ。
 メンバーは主に、長瀬、谷川、高橋実の三人だ。
 今日は、もうひとり、いた。
「で、いちおう、わたしのほうで、わかりやすく論文を書いてみたんですが」
 十枚程度の資料を長瀬のほうへ差し出してきたのは、長瀬と同じ大学で社会現象を統計学的に研究している社会学部の、中西教授だ。
 六十を過ぎている男性である。長瀬より年上だが、いつも腰が低い。小柄な体格でおどおどした印象もあるが、社会調査の分野では世界的な権威として知られている。有名な論文としては、日本社会の人間関係の変容についての実証的分析があった。
「ありがとうございます。中西先生。あとで確認させていただきますので」
 長瀬は、その資料を受け取り、パラパラとめくり、体裁が整っていることを確認した。こちらのプロジェクトも成功しそうである。
 中西教授に依頼したのは、拷問投票制度の運用が始まって以来、殺人の認知件数は変化していないものの、犯罪全体の認知件数が減少していることについて、拷問投票制度との因果関係を肯定するための論文だった。