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○拷問投票12【第一章 〜毒蛇の契約〜】

 ぼわんと注意散漫になったその一瞬の隙に、フレンチトーストよりも強く注意を引きつけるものが現れた。
 ほとんど吸い込まれてしまう。
 長瀬の頭には、拷問投票法のひとつの側面、どろどろとしたイメージが広がった。
 先日、研究室までやってきた高橋実の重苦しそうな様子が頭に浮かんでくる。そのときの第一声、「犯人に、しかるべき報いを」という言葉が印象的に残っている。
 高橋実は、愛していた娘を惨殺された恨みから、拷問投票法の制度を利用して犯人に苦しみを与えたい、と述べたに等しかった。
 犯罪被害者の遺族としては、犯人に対して厳罰を望むのは当然である。
 しかしながら、それと同時に、その応報的措置に対する欲望にブレーキをかけるのが善良な精神だろう。安易にやり返すことを認めれば、殺したら殺し返す、という無限定のループに陥る。
 たしかに制度上、死刑という形で応報的措置が認められているとしても、それはどちらかといえば犯罪予防の観点からやむを得ずに維持されている施策であって、けっして、同レベルにやり返すことが道徳的な行いである、ということを死刑制度が主張しているわけではない。
 たとえ大切な人が傷つけられたとしても、それへの応報として相手を傷つけようとするならば、そこに感情的に納得のできる理由があろうと、客観的には同レベルのやりあいに過ぎない。
 少々、冷たいかもしれないが、それが長瀬の立場である。拷問投票の制度については批判していないが、賛成もしていない。
 高橋実に対しては、その報復的な意思について、積極的に賛意を示すようなことはしなかった。
 あのときはただ、専門家としての立場から、積極的刑罰措置が実施されるまでの条件について解説しただけだ。
 最終的に積極的刑罰措置――あるいは精神的拷問――に辿りつくための条件は膨大に存在する。すべてを説明することはできなかったので、ひとまず、高橋実に対しては前提的な条件について簡単に説明することにした。
 なによりも、拷問投票法第二条及び第三条に規定されているように、積極的刑罰措置は死刑の付加刑であり、死刑判決を言い渡された者しか対象とならない。
 現代の刑事司法制度の現状では、他人の生命を奪うような悪質な犯罪にしか死刑判決は言い渡されていない。多くの国民が凶悪犯罪をイメージしたときに頭に浮かんでくるような、極端な犯罪しか対象とされていないわけである。
 それはもちろん、拷問投票法の前文にも示されているように、この強い刑罰が局所的に発動されるべきであることに由来している。
 この制度が濫用されれば、中世の魔女裁判と同様の醜態を露呈するだろう。その点において、この限定的な運用には説得力がある。