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◯拷問投票277【第四章 〜反対と賛成〜】

 


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 あの日、人気のない工場地帯で、ふたりは出会った。悲惨な出会い方だった。理子は見知らぬ男に強姦され、バイト帰りの佐藤は咄嗟に警察を呼ぶ振りをした。犯人は逃げ、誰もいない倉庫の傍らに、ふたり残された。彼女の名前を聞くことはなかったし、佐藤も自ら名乗ることはなかった。またどこかで会う気もなかった。というより、佐藤としても、会いたくなかった。
 なにも見なかったことにしたかった。
佐藤は、たしかに、心の中で告げた。こっちから深入りすることはないから、この問題はそちらだけで解決してくれ。
 見てしまった以上、佐藤の心にもかすり傷は残るが、それは仕方がない。佐藤にできることはなかった。
 警察には通報しないことを確認し、ふたりは別れた。
この一件があってから佐藤はバイト先を変更し、事件の起こった場所には近づかなくなった。
 忘れることはできなかった。
 なぜなら、佐藤は、そのときの一部始終を、頭の中で何度も繰りかえしていた。剥き出しの叫び声と、熱のこもった息遣い、泥で汚れたワンピースと、理想的に整った顔。思い出すだけで、気持ちが昂った。
 射精するたびに、佐藤は自らの醜い姿を直視することになった。犯罪者と同じように卑劣だ。重たい罪悪感と自己嫌悪につぶれそうになるたびに、こんなことはしてはいけない、と後悔した。他人の苦しみで快楽を得るなどありえない、いますぐやめるべきだ、と自分に言い聞かせた。
 欲が高まると、そのような冷静な思考は消えた。最後の一回だと弁解しながら、一部始終を思い出し、浸り、そして発散した。
 テレビでは、たまに、性被害について取り上げられていた。被害者の生の声は鋭く胸に刺さった。
 涙を流す被害者を見ると、佐藤はいかに自分が救いようがないかを思い知った。生きるための養分を人の痛みで蓄えている。やはりやめたほうがいいだろう、とは思ったが、やめることはできない。
 ネット上では、正論の嵐が吹き荒れていた。
『相手の気持ちを考えることができないのか。ちょっと考えればわかるだろうに』
『被害者は人生を壊されてるんだから、一生かけて償うべき』
 いつからか、佐藤は、ネット社会に恐怖するようになった。誰が投稿したのかもわからない言葉の数々が、静かに佐藤の心を抉っていった。
 きっと、多くの人も、同じような恐怖を抱いていることだろう。