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○拷問投票5【第一章 〜毒蛇の契約〜】

 これら一般向けに出版されているものの多くは、拷問投票に批判的だ。残虐な刑罰は時代を逆行しているというのが、彼らの主張である。批判というのは一種の自己正当化でもあるから、大衆を気持ちよくさせるのには十分なのだろう。
 かといって、研究者たちの間では逆に肯定的に受け取られているというわけでもない。長瀬自身、拷問投票法のたたき台の作成に参加したのは事実だが、諸手を挙げて拷問投票に賛意を表してはいない。無責任の誹りを避けられないとしても、長瀬はかねてよりずっと中立の立場だ。  法律というのは常時、不完全なものに過ぎない。生命のメカニズムや複雑な物理法則と違って、不完全な人間がつくったものなのだから。研究者としては、中立の立場から眺めていたい。
 拷問投票に思いを馳せていると、ふと気が付いた。デスクに置かれたカレンダーに目を走らせて、やはり、と合点する。
 拷問投票法が施行されてから、そろそろ、もう七年だ。この制度にしたがって投票が実施されたのは六回のみ。すべての投票で積極的刑罰措置は支持されなかった。この現状をひとつの達成と捉える向きもあるが、果たして……。
 自由に物思いに耽りながら講義終わりの充実感に沈んでいると、不意に、ピンポーン、と電子音が響いた。
 おや。こんな昼間から来客があるのは珍しい。どちらさまだろうか。少し考えた末に、長瀬は、思い出した。
 デスク上のカレンダーには、『PM2‥00 高橋さん』とある。並んで置かれているデジタル時計には、『1‥55』と表示されていた。
 一週間ほど前のこと、長瀬が仕事用に用いているメールアドレスに、『拷問投票の制度について詳しくご教授いただきたい』という稀有な依頼が届いた。高橋実と名乗っていた。見知らぬ人である。はじめは取材の依頼かと思ったが、そのメールの差出人の属性を知り、そうではないことに気が付いた。若干のシンパシーを感じたこともあり、拒む理由などなかった。ちょうど春期の講義初日に大学の研究室に出てくる予定だったので、その日に来てもらえれば、と思い、その旨を返信した。
 いままさに春期はじめての講義を終えた疲労感と達成感の中で、長瀬は、その約束をすっかり忘れていたようである。
 これはいかん、と自分に鞭を打ちながら、背筋を正した。ついでに、デスク上に散乱した書類の角を合わせ、デスクの左隅にまとめる。散らかった研究室だが、そもそも研究者に潔癖を求める人も少ないだろう。
 デスク上のグレーの遠隔ボタンを押すと、前方のドアがひとりでにスライドした。