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○拷問投票3【第一章 〜毒蛇の契約〜】

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 刑事司法制度に対する国民の不満が噴出する背景となったのは、表面的には、令和初期に連続的に発生した凶悪犯罪の数々である。  とくに連続幼女粉々殺人事件という名称自体とてつもなく残虐な一連の事件は、国民の恐怖と怒りをかきあつめるのに十分だった。
 犯人は当時二〇代の男で、大手の銀行に勤めるエリートサラリーマンだった。いわゆる小児性愛の性癖を抱えていた犯人は、大人の女性との交際経験は豊富であったが、性的な欲求不満を解消できずにいた。仕事上のストレスも加勢して、次第に、街中で幼女を見かけるたびに狂おしい衝動が込み上げてくるようになっていったらしい。
 真夏の休日、犯人は都内の公園で見かけた当時五歳の幼女を巧みに誘惑して自車に連れ込むと、人里離れた山奥まで連れて行って、泣き叫ぶ幼女の口をガムテープで塞いだうえで性的な暴行に及んだ。
 のちに犯人は裁判での被告人質問において「いつ死んだかなんて知りませんよ。ヤルことに夢中だったんだから」と供述している。
 連日の炎天下のために腐敗した状態で発見された幼女の膣内からは犯人の精液が検出されており、そこには鋭利な刃物を差し込んだ痕跡もあり、内部はズタズタになっていたらしい。そのほか腹部にはナイフが差し込まれて穴が開いており、そこに性器を挿入した痕跡もあったという。
 裁判において犠牲となった幼女の父親が涙ながらに証言をした際には、「感触を思い出すだけで勃起しちゃいます」と笑ったことも大きな衝撃を与えた。
 その一度目の犯行が成功体験となったせいか、犯人は、一週間も経たないうちに同様の事件を三つ起こしている。
 四つ目の事件においては、殺害した幼女の膣をナイフで切り取って持ち帰り、精米機で粉々にしてからフライパンで焼いて、白米にのせて食べたという。その内容は残虐に過ぎたため、テレビでも全貌を報じることに躊躇が生じる始末だった。
 いちばん問題となったのは、その判決だ。
 犯人に対して精神鑑定を行った三人の精神科医は、いずれも、犯人は幼女が視界に入ると異常な興奮状態に陥り、自律的な精神機能を喪失する気質であることを認めた。本件の犯行時においても、「複雑酩酊と同様に、規範的な観点から自身の行動を抑制し、それを制御できない状態だった」と認められ、心神耗弱が成立した結果、無期懲役に減軽され、死刑にならなかった。
 検察側の控訴は棄却され、注目を集めた最高裁においても上告は棄却され、犯人の無期懲役が確定した。
 この結果については到底理解できないという国民の感情がSNSによって増幅し、事件を担当した最高裁判事を国民審査で罷免させようとする運動が巻き起こった。そのころ最初の犠牲者である幼女の父親が自殺したことも加担して、その勢いは衰えず、ついに史上初となる最高裁判事の罷免が現実のものとなった。
 それに呼応するかのように、刑事施設内で刑務官によってその犯人の男が刺殺される事件も起きた。一部の国民たちにひとつのスローガンを与えた。
 司法では裁けない、自分で裁くしかない、と。
 賢明な国民の多くはその風潮に警鐘を鳴らしていたが、一部の暴徒化した国民の勢いは止まらなかった。
 心神喪失により無罪となった者が拷問の末に惨殺された事件や、司法に対する不満から大阪地裁の裁判官が拉致監禁されて衰弱死した事件など、枚挙に暇がない。インターネットテレビ事業者をはじめとするメディアの報道は自粛されるようになったものの、事態は好転せず、司法制度の崩壊までが懸念される事態に至った。
 この異常事態の背景を解き明かそうとする研究が計算社会科学の分野で活発化し、どれも似たような結論に至る。
 すなわち、令和初期に発生した南海トラフ大地震による経済不況が深刻化するにつれて凶悪犯罪が増加の一途を辿っていた当時、凶悪犯罪そのものへの実質的に応報な刑罰を想定していなかった刑事司法制度はいくらなんでも国民の感情を無視しすぎていた、ということである。
 政府や国会としても、心神喪失や執行猶予の廃止など、いくつかの歴史的な改革を一時的に実施したが、効果が見られなかった。
 別の観点からの改革として、感情の増幅や社会的分断の助長、それにフェイクニュースをはじめとしたインフォデミックの頻発が避けられないSNSに対する規制を強化しようとする動きもあったが、これは言論の自由を訴える反対の声に潰れた。
 お手上げ状態になった政府は法務省に指示を出し、法案を国民から一般募集するという異例の対応を取ることになった。このとき、当時から異端児として知られていたメカニズムデザインの研究者が『新刑法』という名称で応募した法案が採用された。その法案を基にして司法制度安定化審議会が骨組みをつくり、まとまった法案を内閣が国会に提出して、ほとんど修正されることなく可決された。
 それが拷問投票法である。
 世紀の悪法として世界各国や国際人権団体、国連から批判されているが、少なくともアメリカ政府からは批判を受けていない。最高裁においても、いまだ積極的刑罰措置が実施された例がないことから、違憲性判断が留保されている。