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〇拷問投票【序章 ~立案者の告白~】

 世紀の悪法だと言われましても、ね。
 かりにそうだとしたら、少なくとも、僕より先に、法案をつくった官僚とそれに賛成した国会議員に言ってほしいですが。
 まあ、ね。僕だって、鬼じゃない。
 人道的な観点からすると、常識として容認できないことは議論するまでもなく明らかです。政策的な目的があると擁護もできますが、方法として野蛮であると説得的に反論することもできます。被害者感情や国民感情などのセンシティブな感情たちを議論の土台から追放するならば、この法律―-拷問投票法なんてもの――を擁護する余地など微塵もないかもしれません。
 それは真っ当な倫理観だと思います。
 と同時に、さっき議論の土台から追放したばかりの諸々の感情たちをふたたび手に取って呼び戻すならば、悪には悪で抵抗せよ、という態度を取ることが一種の倫理的な側面を有していることも否定できません。
 目には目を、歯には歯を、ですよ。
 でも、勘違いしないでくださいね。この新たな法律の目的は、個人レベルの同害報復にあるのではなく、国家的法益の保護にあるのだから。
 語弊を恐れずに言うなら、この法律は、国民に現に権力を与えたいのではなく、国民に権力があるように思いこませたいだけなんです。そういうわけだから、もちろん、国民の野蛮な暴走を容認するような制度設計にはなっていない。もしも、この制度を構成するひとつひとつの歯車がぎちぎちと音を立てながら動き出したとしても、どろどろとした国民の感情たちが機械仕掛けの殺意に変換されて集計され、どしどしと注がれるそれらの殺意は人間には手の届かないところに置かれているコンピュータでカウントされていくわけですから、結果が出てくるときにはもう、国民が抱いていた熱はほとんど冷めていることでしょう。そうしないと憲法が要請している司法権の独立を侵すことになるという事情もありますが、それ以上に、この制度が制度として存在している時点で目的は達成されているという事情もあります。
 だいいち、僕はね。法案の一般募集! 採用されたら一千万円の賞金を与えます! なんてことを言い出した法務省に釣られただけの身だ。ある意味、ラフレシアに誘われた被害者でもある。
 これが悪法なのかどうか、なんてね。ただアイディアを提供しただけの、一般の、メカニズムデザインの研究者に過ぎない身の僕には、さっぱり。申し訳ないけど、今回のインタビューでも、その点にはお答えできません。
 この僕の態度を無責任だと思えるのなら、まあ、それはそれでいいけど……でも、せっかくだから、こう言っておきたいところですね。
 泣き叫んでも同情できない、と思えるほどに誰かを憎んでいない様子のあなたが、羨ましくて、羨ましくて……たまりません、とね。