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◯拷問投票154【第三章 〜正義と正義〜】

 リモートで顔を出した国際政治の専門家は、次のように語った。
『かつての日本は経済大国で、周りの圧力に屈する必要がありませんでした。死刑制度についても、国連をはじめとした国際社会の圧力は昔からありましたが、耳を傾けなくても国際社会で孤立する危険はなかったのであります。しかし、ご存じのように、南海トラフ大地震をきっかけに急激な経済停滞を迎えた現在、日本はすでに韓国との交代でG7からも外されていることはみなさんもご存じでしょう。いまや、日本は、世界の声に耳を傾けなければより深刻な経済不況を招く、そういう不安定な地位にいるのです』
 もじゃもじゃと黒い髭を生やした国際政治学者は、続けて、国内に著しい混乱が生じる恐れがあるとして投票をやめるべきだとの見解を示した。
『このまま投票を強行すれば、日本がいかに発展途上であるかを世界に知らせることになります。現実を見るべきです』
「投票が中止になることはない、というのが現実ですが」
 長瀬は、嫌みたっぷりとつぶやいて、パソコンの電源を切った。国際政治学者のもじゃもじゃの顔が映し出されていたディスプレイは真っ黒になる。
 長瀬の隣で、ふふふ、と面白そうに谷川が笑っている。
 ここはお馴染みの長瀬の自宅リビングだ。小さなテーブルを囲んでいるのは、いつもどおり、長瀬と、谷川と、高橋実の三人だった。
「いまのは昨日、主文が後回しになったときのテレビの様子ですが、すでに分断が始まっているような印象です。我々にとって重要なのは、この分断を深めるよりも、分断の向こう側にいる反対派を寝返らせることでしょう」
 長瀬の言葉に、谷川も、高橋実も、神妙にうなずいた。重要な行動指針や決定事項については、三人による合議での満場一致で決定するという流れになっている。被害者文書の作成も、拷問投票制度に関する論文の公開も、三人による合意結果だった。分断の内側を強固にするよりも分断の向こう側を切り崩すほうが効果的だという捉え方についても、すでに共有されている。
 この分断の直接的な原因は、拷問投票や死刑の制度への賛否である。しかし、国の内部で対立を深めている真の原因は、これらの制度を見るときの立場のズレだろう。被害者側につくか、それとも、犯罪者側につくか、である。
 国民というのは、もともと被害者側の味方をする傾向がある。
 それほど犯罪に排他的でなくても、凶悪犯罪なら死刑もやむを得ないのではないか、と考えている人は多い。拷問については躊躇する人もいるかもしれないが、国民の共感しやすい対象が被害者や被害者遺族であることに疑いようはない。
 だから、実のところ、テレビへの出演や被害者文書の公開によって国民の多くを味方につけることは、言うほど難しいことではなかった。国民の傾向からすると、簡単であるとさえ言えた。重点を置くべきではない。
 もっと難しく、もっと重要なのは、むしろ犯罪者側だ。