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◯拷問投票253【第四章 〜反対と賛成〜】

 つまり……。佐藤は、考えた。時間はかからなかった。
 長瀬が言おうとしていることがわかった途端、不意打ちの地獄に叩き落されたような気持ちになった。調子よく口を動かすこともできなくなった。あまりに節穴だった。もしかしたら、現在、佐藤が置かれているのは、拷問投票に参加することよりもずっと恐ろしいシチュエーションなのかもしない。
 ここでは選択肢がふたつ、ある。アクセルを踏み込むか、このまま何もしないで待機するか。
 アクセルを踏み込むための条件は、たったひとつだった。
「そこにいるのは全部、人型ロボットだと思いますか?」
 まとわりつくような声を落として、長瀬は、なおも目の前の人型のものたちを見つめている。
 これらは人ではない、人型ロボットだ、と長瀬は言いたいのだ。しかも、人を轢き殺したら殺人罪だが、人型ロボットを轢き殺すことは器物損壊罪でしかない、とまで言っているのを、佐藤の耳は捉えていた。
 ――最悪だ。
 佐藤は、いますぐ逃げ出したくなった。
 ここでアクセルを踏み込めば、人型のものたちを突破し、時間どおりに裁判所に到着することができる。そこにいるのがどれも人型ロボットであれば、強引に突破したとしても大きな問題はない。
 怖いのは、もしもの可能性だ。
 車道上に立ち止まっている人型のものたちの中に本物の人間が紛れていたら、取り返しのつかないことになる。
 佐藤は、パッと目を開いて、前のめりになった。そこにいるのは二十三体。動作や表情はさまざまだが、どれも同じタイミングで同じ言葉を叫んでいる。こっちを向いていないものもいる。確認できる範囲では、どの人物も瞬きが遅いように感じた。本物の人間はいないように見える。
 そもそも、ハッキングされたロボットであるかのように演じる必要性がないから、本物のの人間が紛れている可能性はかなり低い。
 一般の感覚からしても、そこに本物の人間が紛れているのではないか、と疑うことはバカげている。
 あとになって本物の人間が紛れていたことが明らかになったとしても、アクセルを踏んだ時点では把握できなかったという主張が常識的に受け入れられそうである。銅像を殴るつもりで殴ったのに、その銅像が実は人間だったという場合、殴った人に傷害罪を問うことはできない。それと同じだ。事実の錯誤があったということで、器物損壊罪。たしか三年以下の拘禁刑だった。
 ここでアクセルを踏み込めば、人型ロボットを傷つけることを容認するとともに、もしもの可能性を強引にねじ伏せることになる。
 もちろん、佐藤は、そんなにも汚いことをしてまで拷問投票に参加したいとは思っていなかった。
 アクセルを踏みたがっているのは、長瀬と名乗る男のほうだ。拷問投票で賛成票を入れてくれる裁判員に強いこだわりがあるようである。
なんでこだわってるのか知らないが、やめてくれ。佐藤は、長瀬にアクセルを踏んでもらいたくなかった。
「それはやめましょう。いくら相手が機械だからって野蛮ですよ。人間が紛れてたらまずいですし」
 できる限り緊迫感を声に乗せたつもりだったが、長瀬には響いていないようだ。表情を変えることなく、フロントガラスのむこうを見据えている。少しずつ着実に覚悟を固めているような顔をしていた。
 すぐに決断に至ったようだ。
 長瀬は、緊急用のボタンを押し、手動運転に切り替えると、躊躇なく一気にアクセルを踏み込んだ。