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◯拷問投票283【第四章 〜反対と賛成〜】

 佐藤がバイトから帰ってきた夕方、自宅アパート前の狭いコンクリートの車道に、うつ伏せで倒れている女性を見つけた。大量の血液が、路上の凸凹を埋めている。真っ白のTシャツは赤く染まっている。右の手首はありえない角度で曲がっている。その顔面はコンクリートに食い込んでいる。横顔すら、崩れていた。
 あまりにひどくて、直視できない。
 子細に見なくても、屋上から飛び降りたことは間違いなかった。
 パニックになりながらも、佐藤は、すぐに警察に通報した。「誰か、女性の方が、飛び降りたみたいです」と口走っていた。
 それが本当に見知らぬ人だったなら、少々のトラウマが残るだけだった。
 十字架のネックレスが首に巻き付いているのに気づいてから、佐藤は、もはや、立っていられなくなった。
 血で汚れているが、Tシャツには見覚えがある。ほっそりとした背中も、よく見れば、いつも見ていたあの背中だった。耳の形も、剥がれ落ちたネイルも、腰の位置や、ちょっとだけ内股の脚も、なにもかもが現実を突き付けていた。 
 理子は死んでいた。
 いってらっしゃい、とお馴染みの笑顔で見送ってくれたのに、おかえり、もなく、この世からいなくなった。
 理子のことを思いながら、一晩中、泣き続けた。
 翌朝には、老後のために貯蓄していた全財産を、亡くなった理子のために使うことを、決断していた。
 なにより救いだったのは、理子の脳が保存されていたことだった。脳の本体はぐちゃぐちゃになってしまったが、クラウド上には残っていた。最先端の脳ドックを受けたときに測定した脳内状況に関するデータである。いかにも、頭の良さに自信を持っていた理子のやりそうなことだった。
 佐藤は、その理子の脳を人型ロボットに引き継ぐことにより、人型ロボットとして理子を蘇らせることを思いついたのだった。
 調べてみると、人間の脳を人型ロボットに移植することは法律で禁止されていた。数年前に『ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律』が改正され、クローン技術と同じ扱いになった。
 規制の理由は、倫理に関する懸念である。
 もしも、人型ロボットに実際に生きている人間の脳を移植すれば、それはこの世に同一人物を生み出すことになる。コピーと言ってもいいだろう。まさに、クローン技術によるクローン人間の生成と同じような問題をはらんでいる。
 人型ロボットの刑法上の扱いについては対応が遅いくせに、倫理的な問題となると、すぐに規制してしまう。
 日本の政治を呪いたくもなった。だが、佐藤は諦めなかった。