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【道徳二元論⑤】〇基礎理論〇 一貫性のための戦略

 こんにちは、山本清流です。


 『道徳二元論』の第5回目の講義です。

 今回は、「一貫性のための戦略」というテーマでお話ししたいと思います。


 要約は以下のとおり。

 公平的道徳と闘争的道徳は互いに矛盾する道徳である。それぞれを使い分けることは、根本的に矛盾を生むことになる。そのため、人間はあらかじめどちらかを選択する必要がある。その選択は、有利な状況が多いか、不利な状況が多いか、に依存する。選択というのは、個別具体的な道徳的対象ひとつずつにおいて、どの程度まで、どちらの道徳を用いるかを決めておくことである。

 以下、詳しく説明していきます。

 ぜひ、お付き合いください。


 【一貫性のための戦略】

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 人間は、道徳において一貫性を確保するために戦略を立てる必要があります。

 以下、順序だてて、説明します。


 【ふたつの道徳は矛盾する】

 公平的道徳と闘争的道徳は矛盾します。

 リンゴの例に戻れば、わかりやすいでしょう。


 【リンゴの例】

 Aさんがリンゴを手にしたときには闘争的道徳を発動したのに、

 リンゴが手に入らなかったときには公平的道徳を発動したら、


「いや、あなた、以前は闘争的道徳だったじゃない」と指摘されます。

 批判を受けるわけです。


 よく考えたら、当たり前ですよね。

 ふたつの道徳は、「公平であるべきだ」、「自己責任だ」と真逆の主張をしているからです。


 【道徳の根拠はなに】

 道徳の根拠は、一貫性があるか否か、です。

 そもそも、道徳そのものを合理的に説明するのは難しいですよね。


 まして、人々が「合理的に利益追求する」世界では、本来的な意味での道徳はありません。

 その世界の道徳は、「満足度を上昇させるための道具」に過ぎません。


 人々はその道具を使い分けて、満足度を上昇させたいのですが、

 一貫性がなかったら、その道徳に効力はありませんよね?


 「あなた、以前はべつの道徳だったでしょう」と批判されて、撃沈です。

 つまり、道具ではあれ、道徳は一貫している必要があります。


 【注意】

 以前の講義でも説明したように、

 道徳は使い分けたほうが合理的です。それは変わりません。


 しかし、「使い分けてる人」と「使い分けてない人」のどちらの道徳が通りやすいか、と考えれば、一目瞭然ですよね。


 【使いたい道徳を一貫して主張する必要性】

 一貫していれば、道徳を武器にできますよね。


「いままでも公平的道徳だったから、いまも公平的道徳だ」

「いままでも闘争的道徳だったから、いまも闘争的道徳だ」


 そんな感じで、いままでの意思決定の実績(一貫性)を根拠にして、

 自らが利用しようとする道徳に説得力を持たせるのです。


 これは戦略的意思決定です。


 【道徳は戦略的意思決定である】

 人々は、常に戦略的な意思決定をおこなう必要性に迫られます。

 現在の満足度に限定せず、先を見越した高度な戦略です。


 場合によっては、満足度が減少するケースも甘んじて受け入れ、

 将来に渡っての全体の満足度を上昇させるために行動します。


 戦略的に、わざと損をしたりするわけです。

 道徳を一貫させるために。


 【リンゴの例】

 Aさんはリンゴを手にしたときには闘争的道徳、

 リンゴを手にしていないときには公平的道徳を主張するのが合理的です。


 しかし、それでは説得力に欠けるため、

 戦略的にどちらかの道徳を選択します。


 たとえば、闘争的道徳を選択したなら、

 リンゴを手にしていないときは損を受け入れ、我慢します。


 その代わり、リンゴを手にしたときにはすべて自分で食べます。


 その戦略は、これからの将来に渡って、

 自分が不利な状況が多いか、自分が有利な状況が多いか、に依存します。


 【将来の予測と戦略の関係】

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 将来予測によって、戦略は変化してきます。

 将来に有利な状況が多いか、不利な状況が多いか。その予測です。


 将来に渡って有利な状況が多いと予測するなら、闘争的道徳を重点的に選択するべきだし、

 将来に渡って不利な状況が多いと予測するなら、公平的道徳を重点的に選択するべきです。


 【たとえば】

 Aさんがすごいリンゴ収集能力を持っていて、

 簡単にリンゴをたくさん見つけられるというとき、


 闘争的道徳を選択するのが、将来の満足度を上昇させるうえで合理的ですよね。


 たとえ、リンゴが手に入らないときも公平的道徳は主張せず、

 我慢して、我慢して、


 そうして、いざたくさんのリンゴを手に入れたときに独り占めです。

 したがって、有利な状況が多いなら、闘争的道徳。


 反対に、不利な状況が多いなら、公平的道徳、です。


 【楽観的主体と悲観的主体】

 将来は有利な状況が多いと考える人を、楽観的主体と呼びましょう。

 一方、反対に、不利な状況が多いと考える主体を、悲観的主体と呼びます。


 楽観的主体は、闘争的道徳を重点的に選択します。

 悲観的主体は、公平的道徳を重点的に選択します。


 その戦略的な意思決定が失敗することを、戦略の失敗と呼ぶことにします。


 これはつまり、人生で不利な状況が多いにもかかわらず闘争的道徳を重点的に選択した場合や、

 人生で有利な状況が多いにもかかわらず公平的道徳を重点的に選択した場合です。


 戦略の失敗の話題については、次回の講義で取り上げます。


 【選択するというのは】

 選択するというのは、単純に、どちらかの道徳を選ぶことではありません。

 それぞれの道徳的対象ごとに程度を決めていくのです。


 たとえば、「人を殺すこと」は公平的道徳で、不作為を要求し、

 「愚痴をつぶやくこと」は闘争的道徳で、作為を要求する。


 こんな感じで、個々人で、戦略的に選択していきます。

 それぞれの対象ごとに決めていくわけです。


 今回は以上です。お疲れさまでした。次回は、基礎理論の最後です。