見出し画像

◯拷問投票160【第三章 〜正義と正義〜】

 三十階の高層ビルの最上階に、平和刑法の会の拠点が設置されている。
 長瀬と谷川はタクシーを降りると、青天と地続きの壮大なビルを見上げた。真下から見ると遠近法が際立ち、とてつもない迫力である。
 スマホのホーム画面を見れば、まだ約束の時間まで二十分以上あった。少し早いが、寄り道をする気にはなれない。
「我々の考えを提示すること、それがいちばんの目的だな」
 最後の確認のようにつぶやくと、谷川はうなずいた。
「それ以上を望むには、まだ早いかもしれない」
「ああ」
 低い声で応じて、長瀬は、ひさしぶりに着用した黒スーツの裾を引っ張った。気合を入れてから、谷川とともに自動ドアへと足を進める。
そのとき背後から、『犯罪者に苦痛を与えることに生産性はありません』との選挙カーの演説が聞こえてきた。
 谷川も長瀬も反応しなかった。何事もなかったかのように自動ドアを通り、常設されているゲート型探知機をくぐり、ひんやりした空気に満たされたエントランスホールを横断していく。
 そこは、三階までの吹き抜けになっている。真っ白い天井には、プロジェクションマッピングによってピカソの名作、『ゲルニカ』が映し出され、作中の兵士や馬がゆるやかに動いていた。ふかふかそうなソファや清潔感のある木製のテーブルなど、高級ホテルのロビーを思わせるような広大で豪華な空間だ。
 大学卒業以来、研究者としての人生を送ってきた長瀬には落ち着かない荘厳さである。幸いにも、動揺する様子もなく闊歩していく谷川の後ろ姿に励まされ、緊張の奥底へと沈み込んでいくことはなかった。
 受付に座っている人型ロボットに訪問の理由を告げ、四つ並んでいるうちのひとつのエレベーターの扉を開けてもらった。長瀬はくせで「ありがとうございますね」と頭を下げたが、谷川は無反応だ。人型ロボットにどう接すればいいか、人によって考え方が違うのは当然である。
 ふたりしてエレベーターに乗る。定員二十人の内部は広い。すでに最上階に向かう設定になっており、そのほかの階で降りることはできないようだ。
 自動的に扉が閉まって上昇を始める。動いている気配は、少しもなかった。上部のモニターに表示されている階数表示だけが移り変わっていく。……『24』、『25』、『26』、『27』、『28』……。
『到着しました。三十階です』
 アナウンサーのような統制された女性の声が響き、エレベーターの扉が開いた。冷えた空気に変化はない。
 扉のむこうには、真っすぐと黒いマットの敷かれた廊下が続いている。とりえあずエレベーターから降りた。廊下の左右に、いくつかのドアが確認できる。さて、どうしよう、と谷川と顔を見合わせたとき、手前の左のドアが音もなくスライドしていった。礼儀正しい動きで姿を現したのは、まさにその人だった。