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◯拷問投票130【第二章 〜重罪と極刑〜】

 事実の錯誤というのは、主観の中で誤った事実を認識することである。公園でヒーローごっこをしている親子を見て、父親が子供に虐待をしているのだと認識すれば、それは事実の錯誤である。
 難しいところは、事実を錯誤していたことを証明する直接的な証拠は存在しないことである。
 犯人の主観の中でなにが起こっていたか。
それは犯人しか知らないだろうし、場合によっては犯人さえ把握していないこともあるだろう。
 犯行時における犯人の心の中を推認するためには、客観的な証拠から導かれる事実を積んでいくしかない。いわゆる状況証拠から判断するしか、なかった。
 連日にわたる評議の中では、ひとつひとつの事実を慎重に認定していく中で、じわじわと被告人の心へと踏み込んでいった。
 十分に弁護側の主張についても吟味を重ねた。それでもやはり、弁護側の主張は抽象的な可能性に終始していて現実性がない。
 確実に被告人が被害女性のことを人間だと認識していたことが論証できていないという批判についても、それさえ抽象的な可能性であり、まるで説得力がない。限りなくゼロに近くても可能性があるならその可能性さえも除去しなければならない、とするなら、刑事裁判はおよそ機能しなくなるだろう。
 評議の中では、被告人の供述の信用性についても検討を行った。
 弁護側によると、被告人の供述は終始一貫していて混乱がなく、詳細にしてリアリティーがあり、しかも被告人の供述内容はそのほかの客観的証拠と整合しているうえに、被告人の供述をもとにして女性を襲った犯行現場が特定されていることもあり、信用性に疑いはないとしている。
 犯行の流れや行為態様については、たしかに被告人は真摯に協力的に供述していることは間違いない。
 しかし、被害女性のことを人型ロボットだと錯誤したことに関する供述については曖昧で漠然としている。「なんとなくそう思った」、「合理的な理由はないけれど、直感的に、そう思いつづけていた」など。
 人型ロボットと人間の相違について深く考慮していないのに一方的に人型ロボットだと思い込んだとするのは、やはり供述それ自体として不自然である。レイプ時においては身体に接触しているわけだから、人間だと認識できる可能性は高いというばかりでなく、ほぼ確実だと言える。
 弁護側の主張はとうてい受け入れられない。
 路上で被害女性を発見したときの認識については意見が一致していないが、そのあとの犯行に踏み込んだ段階では、被害女性を人間だと認識していたことについて、合議体の中でもはや争いはなかった。
 人間だと認識していたなら、その犯行はきわめて悪質なレイプ及び殺人である。裁判官たちに説明をもらいながら、殺人罪の構成要件を確認していったが、殺人罪を適用するにあたって障壁となるものは存在しなかった。