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◯拷問投票158【第三章 〜正義と正義〜】

 長瀬は、タクシーが動き出したのに合わせてポスターから目を離し、車内へと意識を戻した。隣の助手席に座っているのは、長瀬と同様、黒スーツを着た谷川だ。気になったことを口にしてみる。
「川島さんって、次男じゃなかったか?」
「ちょっと、お待ち」
 谷川は、黒いカバンの中を探り、クリアファイルを取り出した。そこには数枚、A4サイズの資料が入っている。谷川は、うーん、と唸りながら、クリアファイル越しに資料に目を走らせていく。あ、と口を開けた。
「そうそう、次男。三人兄弟で、みんな男。その真ん中」
「やっぱり。これは偏見かもしれないが、なんとなく、長男のような印象だよ」
 ぽつりとつぶやいて、長瀬は、自らうなずいた。己の風評よりも信念を重視している姿勢や、驚くほどの行動力の高さからすると、次男という印象は薄く、長男に相応しいような気がする。
 やはり偏見は偏見に過ぎなかったということか。長瀬は、フロントガラスを見つめ、両手を膝に置いたまま、頭の中を整理していく。
 谷川の調査によれば、年代としては長瀬と同じである川島という人物は、かなり珍しい経歴を持っている。
 出生地は愛知県だ。父親は、自動車産業のサプライチェーンを構成する製造企業の経営者であった。比較的に裕福な家庭で、経済的に不自由のない子供時代を過ごしている。小学生のときからリーダーシップがあり、クラス委員を幾度も経験している。中学生のときは、生徒会長を担当した。
 高校卒業とともに上京した。とある国立大学の農学部である。
 まだ一、二年のうちは真面目に農業に関する勉強をしていたが、三年のときに転機があった。大学の先輩の伝手で知り合ったテレビプロデューサーからトーク力を見込まれ、とあるバラエティー番組に出演しないか、と誘われたのである。ふたつ返事でOKした川島は、いきなりテレビデビューを果たし、すぐさま爪痕を残した。
 ラジオ番組のパーソナリティーを務めるうちに、この道で食っていこうという覚悟も芽生え、ついに大学を中退した。
 その後も、芸人顔負けのトーク力を生かして、タレントとしてさまざまな媒体で露出していくことになる。このころはまだオールバックのスタイルではなく、前髪もストレートだった。
 さらなる転機となったのは、三十代になってからのこと、とある報道番組で三年間にわたってコメンテーターを務めた経験だった。
 そのころはちょうど南海トラフ大地震が発生して間もなかった時期である。急激な経済不況に陥り、金融システムは麻痺して、お金は回らなくなり、日本の経済は史上類を見ないほど打撃を受けていた。この機を逃さじと動き出した中国人民解放軍にアメリカ軍が抵抗するなどして、国際社会は混沌へと沈み込んでいった。
 日本国内でも、深刻な問題が発生した。
 経済の弱体化にともない、凶悪犯罪が増加の一途を辿っていたのだ。当時の報道番組では毎月のように恐ろしい事件が報じられていた。
 とくに連続幼女粉々殺人事件は国民の怒りを買った。死刑にならなかったことで、さらなる怒りに震えた国民たちは暴走を始める。ネット上では、文明社会とは思えないほどの残虐な主張や悪意のある言葉が氾濫し、それに呼応するかのように正義・私刑としての殺人が相次いだ。
 川島は、このときの日本社会について、『もしも三百年後の未来人がこの歴史的な現象を振り返ったならば、魔女裁判と同じレベルの衝撃を感じ、なんて野蛮なのか、と絶句せずにはいられないだろう』と批判している。