見出し画像

○拷問投票43【第一章 〜毒蛇の契約〜】

   ※


 佐藤龍が子供時代を過ごしているうちに日本経済は着実に弱体化していったが、人権に対する理解は反比例的に深まっていった。
 佐藤が生まれる前は、肉体的な体罰が主な争点となっていた。それは時が経つにつれて純粋な犯罪として扱われるようになり、そのうち精神的な体罰も禁止する方向へと進んでいった。
 佐藤が小学三年生のときには、『教育的地位を有する者の過剰指導の防止及び処罰に関する法律』が施行された。この法律により、親権を有する者や、教育機関で教員として勤務する者、学校からの委託を受けて部活動を指導する者など、特殊な身分にある人物が、肉体的、精神的にいきすぎた指導を行ったときは、侮辱罪や傷害罪よりもずっと重い刑罰が科されるようになった。
 その処罰根拠については議論があるが、多くの学者は、子供時代の教育環境が人格の発達に多大な影響を与えることを重視している。
 とくに幼少期における虐待は人格を不可逆的に変質させる危険性がある。凶悪犯のほぼすべてが幼少期に虐待を経験していることがすでに実証されていることも、この法律の立法に向けては推進力となったようだ。
 この法律で処罰される対象については、判例の積み重ねの中で徐々に明らかになってきている。
 たとえば、小学二年生の生徒に対してリコーダーのテストと称してクラス全員の前でリコーダーを演奏するように担任が指導した結果、それを強いられた生徒がPTSDになった事件では、「リコーダーのテストは一対一で可能であるにもかかわらず、なんら合理的な理由もなくクラス全員の前で行わせたうえ、当該児童の個別的な特性も把握したうえで、あえて強い精神的な負担を強いているのであるから、これは教育的な指導とは言い難く、不要で不当であり、過剰指導というべきである」として、それを指導した教員に対して執行猶予付きの拘禁刑三年が言い渡された。
 このような法律の威圧によって守られた子供時代を過ごしてきた佐藤にとって、世界は潔癖に満ちていた。
 大ヒット映画の続編やスピンオフ作品が次々と出てくるように、テレビやネットでは毎年のように新たな凶悪犯罪が報じられた。それは佐藤にとっては文字通り、テレビのむこうの出来事だった。
 だから、びっくりした、と言ったら失礼だろうか。
 その現場に遭遇したとき、佐藤は、心の底から、びっくりしたのである。