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◯拷問投票72【第二章 〜重罪と極刑〜】

 わずかな休憩を挟んでから三十分後に審理が再開された。高橋実はもう傍聴席に現れなかった。
 無理もないだろう、と佐藤は思った。あのときまで傍聴席に留まるために、かなりの精神的負担を強いられていたはずだ。この法廷では被害者遺族の傷口に塩を塗るようなことをやっている。それほど無理しないほうがいい。
 高橋実がいなくなっても、傍聴席はすべて埋まっている。
 第一の事件における第四段階は、両方の乳房を切り落としたあとの被害女性の腹部への殺傷行為だ。モザイクのかかった記録映像をチェックしながら、検察官の長い説明を聞いていく。映像の中では、午前一時までの十五分間に渡り、被告人がサバイバルナイフで被害女性の腹部をグサグサと刺しまくっている。赤い液体が壁に散る。もはや、被害女性はほとんど反応をしていない。
 解剖医の見解によれば、被害女性の死因は出血性ショックである。実際に死亡した時間は特定されていない。
 解剖医はまた、両方の乳房を切断した時点で致命的である、との見解も示している。この段階ですでに死亡へのカウントダウンは始まっていた。第四段階における殺傷行為がなくとも被害女性はいずれ死亡していた。第四段階における犯行は、被害女性の死期を早めるような役割を果たしたことになる。
 佐藤は、ひとつ疑問を感じた。すでに死亡が確定していたのであれば、そのあとの段階でおこなわれた犯行は因果関係として成立しないのではないか。
 果たして、すでに死亡する予定だった人に対して殺傷行為をすることは、殺人罪にあたるのだろうか。
 その疑問については、審理の休憩のときに田中裁判長が説明してくれた。
 田中裁判長が言うには、かりに死亡していたことが一般的に明確であれば、かつての死体損壊罪だけに該当するのである。死んでいる人間を傷つける行為を、殺人罪として処断すれば著しく不当であろう。
 現代の刑法には死体損壊罪がないので、その場合、死体損壊罪としても無罪ということになる。
 しかし、被害者がまだ死んでいない段階であり、それを被告人も認識していて、しかも人を死亡させるのに十分な犯行であれば、死亡という結果が発生する具体的な危険がある以上は、殺人罪に該当するというべきである。
 その理解によれば、第一の事件における被告人側の主張が通り、乳房を切り落とすまでの犯行が器物損壊罪と過失致死罪にしか該当しないとしても、そのあとの腹部への殺傷行為を殺人罪として糾弾することができる。
 だからこそ、被告人側は、この殺人行為を超長期的無責任という概念の適用によって無罪にしようとしているわけだ。