見出し画像

○拷問投票4【第一章 〜毒蛇の契約〜】

 長瀬達也は、『刑罰投票法』のガイダンスを終えてから、研究室へと戻った。膨大な本や資料に抱きしめられるように囲まれたデスクで、ふーーっと長く息を吐く。五十路を過ぎたころから、体力の衰えが顕著である。

 口を動かしつづけるのはやはり大変だが、やりがいはある。講義室で対面していた学生たちの純粋な瞳が脳裏に残っていた。

 彼らの多くは法律などに興味はないだろう。ホワイトボードを見つめているときも、頭の中では、好きな異性や魅力的な俳優のことを考えているかもしれない。真面目に関心を抱いているのは、ほんの数人かもしれない。それでもいい。たとえひとりだとしても、法律を研究することの学術的な興味に興奮している学生がいるなら本望だ。

 長瀬は、自分を励ますように右手でするりと黒髪を撫でると、座ったままで椅子を回転させた。

 背後に積まれた資料の山のむこうに、窓ガラスを挟んで、一面の芝生の広場を見渡すことができた。春期の始まったばかりのキャンパスには、初々しい若人が散見される。また始まった、というデジャブがあった。半世紀も生きていると、春夏秋冬の一年のループはまるで一日のループのように日常的に反復されている現象と大差がない。

 五階から見えるキャンパスの景色から目を離すと、いまいちど向き戻った。

 なんの気なしに、デスクを挟んだむこうの本棚に雑然と並んでいる背表紙を舐めるように見つめる。

『世紀の悪法 ~法秩序の崩壊の足音~』

『国民暴走』

『法の世俗化と今後の動向』