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◯拷問投票62【第二章 〜重罪と極刑〜】

 好奇心をついに抑えられなくなり、佐藤は、右手のほうへ目を向けた。  そこには、グレーのシャツを着た被告人が警備服を着用した刑務官ふたりに挟まれて座っている。田中裁判長の指示を受け、刑務官とともに、その場に立ち上がった。俯きがちな姿勢で、のろのろと歩く。
 裁判員等選任手続きで対面したときと同じように、短髪で少し髭を伸ばし、背中は丸まり、目は虚ろで、見るからに覇気がない。背丈は高く、かなり筋肉質だが、あまり強そうには見えなかった。
 この人が本当に連続殺人鬼なのか、と思えるくらいだ。
 報道でよく取り上げられている高校生のときの卒業アルバムの写真では、こちらを睨んでいるような目つきだったが、そのような気迫もない。
 被告人は、ゆっくりと進んで、法廷の中央に設置された証言台の前に到着した。ふたりの刑務官は、被告人に付き添い、被告人の背後に立っている。佐藤たちのいるところから、ちょうど見下ろすような位置である。法廷内のすべての焦点が被告人の一点に集中し、いまにも発火しそうな気がした。
 田中裁判長は、マイクを介して法廷に声を響かせた。
「被告人は、自らの氏名、生年月日、本籍、住居、職業を述べてください」
 これは人定質問という手続きである。現実的にはありえないが、被告人ではない人が被告人として裁かれることがないように、本人確認をするわけだ。氏名や生年月日などのひとつの項目ごとに確認するのだろうと思っていたが、すべての事項について一回で確認を求めたようである。
 被告人は、裁判長のほうを向く気配もない。手元に目を落としたまま、証言台のマイクに口を近づけた。
「坂越真。二〇一〇年、四月九日生まれ。本籍は……」
 ぶつぶつとつぶやくように口を動かし、徐々に声量が小さくなっていく。「ちょっと、待ってください」と田中裁判長が止めに入った。
「もうちょっと大きな声で話してくださいますか?」
 少しとて感情を込めることなく放たれた裁判長の指示を受け、被告人は、さっきよりは大きな声で再開した。わざとやっているのかどうか、佐藤にはわからない。投げやりのような印象もある。
 まさか、正規の手続きを踏んで拷問が実施できる制度が存在することを、知らないわけでもないだろうに。佐藤は、かすかに違和感を覚えた。
 被告人が述べたところによれば、名前は坂越真――サカコシ、マコト――である。生物学的にも、自覚的にも、男性。現在は三十五歳で、犯行当時は三十二歳だった。
 公判前整理手続きに時間がかかった影響で、事件が起きてから三歳も年をとっている。事件によっては、もっと時間がかかることもある、という話である。犯行がおこなわれたときから僅か二年で公判の開始に踏み切れたのは、さまざまな関係者が迅速に動いたおかげであろう。
それは拷問投票制度のせいでもある。拷問投票が実施される可能性のある事件については、公判が遅れることで国民の関心がなくなっていくことは由々しき事態だ。どうしても国民が関心を寄せている間に第一審を終結させる必要があり、少なくとも検察官は急いだはずだった。
 この公判に辿りつくまでの間に、被告人は、長期間に渡って鑑定留置を受けている。刑事責任能力は否定されていない。
 第三の事件で現行犯逮捕されるまで、被告人は、犯行現場となった都内のマンションの一室で暮らしていた。当時は、とある大企業の経理担当として在宅ワークをしていた。学歴としても煌びやかだ。収入にも余裕があったらしく、借りていたのは港区の防音設備の整ったマンションの角部屋だった。そのへんの個人情報については、余すことなくネット上に晒されている。